カテゴリ:説教要約



2025年 · 2025/03/31
このエルサレム会議は、当時の教会が「どの方向に進んでいくか」との議論の場でもありました。ここに出席した人たちは、それぞれ自分自身の主観や体験に基づいて発言したことでしょう。この会議では「異邦人は救われるためにユダヤの律法を守る必要はない」ことが結論付けられました。

2025年 · 2025/03/22
「律法を守り行わなければ救われない」という教えは、ユダヤ人にとっても重荷であり、苦しみの根源でした。なぜならば、律法というものは一つでも守らなければ、全部守らなかったことになってしまうからです。しかし、イエス・キリストの恵みによって救われるという福音が、律法という軛(くびき)から苦しむ人々を解放していきました。

2025年 · 2025/03/17
パウロとバルナバの約2年に渡る伝道旅行の中に神が共にいてくださいました。その結果、その地その地にユダヤ人だけではなく多くの異邦人を含む教会が誕生していきました。しかし、ある町でそのような教会ができたとしても、二人が次の町に伝道に行った後には、クリスチャンとなったばかりの弟子たちが不安の中で取り残されていたのです。

2025年 · 2025/03/10
ユダヤ人にとって「過ぎ越しの食事」とは、出エジプトの救いを記念する食事でした。半日後に十字架につこうとするイエスが、死ぬ前にどうしてもしたかったことは、弟子たちと過越の食事を共にすることでした。この命がけの食事を通じて、イエスは弟子たちに「この後にどんな困難があろうとも、必ず神の救いを見る」ことを信じさせようとさせたのです。

2025年 · 2025/03/03
「神は死んだ」とニーチェが記したように、20世紀には宗教が衰退し、いずれ宗教は無くなるのではないかと考えられていました。結果、人間の合理性を信じるシカゴ学派が隆盛を誇ることになりました。このシカゴ学派の人たち、エリートな方々には、「神は必要ない」のかもしれませんし、人間の行動はお金が決めていると思うかもしれません。

2025年 · 2025/02/24
使徒パウロとバルナバの言葉と、それを信じないユダヤ人の言葉のどちらが正しいかを巡りって、イコニオンの町は分裂していきました。そして、ユダヤ人の側についた人々は、間違っているように思えた使徒たちを暴力によって排除することを企てます。しかし、それを察知した二人は衝突を回避し、素直に賢く逃れて、次の宣教地であるリストラに入っていきました。

2025年 · 2025/02/16
ここに書かれている「永遠の命」のことを、私たちはどのようなものと考えているでしょうか。ヨハネ福音書17章3節には、イエスが天を仰いで父なる神様に祈る言葉として、「永遠のいのちとは、唯一まことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」と書かれています。

2025年 · 2025/02/10
パウロは、ハバクク書1章5節の預言を引用して、キリストを信じない人々に「見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。」と厳しく警告しています。

2025/02/03
父なる神が、独り子である御子イエス・キリストを人として世に遣わしたのは、この世をこよなく愛したからでした。この世を滅びから救うため、人間の言葉で人間に良くわかるように、ご自身の御心を伝えようとされたのです。

2025年 · 2025/01/27
 イスラエルの歴史を通して働かれた神は、イスラエルの民を選び出し、不信仰に耐え忍びながらも彼らを導いていかれました。意に沿わぬことではありましたが、彼らが自分たちの王が欲しいと言い張った時にも、それを忍耐して受け入れて、彼らに豊かさを与えようとサウルを王として立てました。

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