
「自分を見つめる空」
哀歌5:1~22
マタイ27:45~56
イエス・キリストは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と父なる神に向かって大声で叫ばれました。この言葉は、まるで神への信頼を失ってしまった人が、自分の人生を嘆いているようにも聞こえます。
この叫びは詩編22編の最初の言葉と同じです。しかし、それを書いた著者が、詩編22編の全体を通して、神の愛を信じ、信頼を表そうとしている箇所なのです。だから、ある人は「ひょっとして、イエスは十字架の上で、この詩編22編を歌おうとしたが、途中で力尽きてしまったのではないか」と言います。そうであるならば、イエスは十字架に架けられてまでも、神の愛を信じ、神への信頼を表そうとしたことになります。
歓迎できない事が自分の人生に起こる時、私たちは「なぜ」と叫ばずにはおられません。ですから、このイエスの十字架の上での叫びは、私たち自身の叫びでもあります。まるでイエスの十字架は、そのような私たちに神の愛を教えようとしているようです。その十字架は、私たち一人ひとりに、自分が神に愛されていることを語ります。そして、私たちが十字架を見上げる時に、神への信頼を取り戻すように導こうとしています。
私たちの苦難に満ちる人生の中に、神は様々な方法によって神の愛を見るように、いつも私たちを導いています。いつも見ている「空が変わった」と思えるような世界観が大きく変わるチャンスが誰にでも与えられています。それは、私たちが天から大切に見守られていることに気づいて喜ぶためです。その喜びさえあれば、私たちはどんな苦しみの中でも安心して生きていくことができるのです。
牧師 : 宮本幸男