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説教要約2025/4/6「人も自分も幸せになる方法」

「人も自分も幸せになる方法」

イザヤ51:17~23

マタイ20:20~28

 

 十字架に架けられて死ぬ覚悟を持って、イエスは先頭に立ってエルサレムに上って行かれました。しかし同時にイエスは喜びに満ちていました。なぜならば、イエスは父なる神の御心を忠実に行うことを決意していたからです。そして、何よりも十字架の苦難の先に置かれた復活の喜びを見ていたからでした。

 

 その時、イエスは弟子たちに「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」と語られました。先頭を行くイエスが、それまで最も大切な教えとして語られたのは「隣人を自分のように愛しなさい」という「隣人ファースト」の生き方です。実に、イエスが十字架で死んでまで目指そうとしていたのは、その生き方の先にある「人の心の中につくられる」神の国でした。

 

 イエスは、神の国の建設のためにご自分の命を十字架の上で献げられ、究極の生き方を貫かれました。その十字架の意味を知って、神の愛を心から信じることができる者は「隣人のために自分の何かを削って献げる」という「隣人ファースト」に招かれます。しかしその生き方を始めることはとても苦しいことです。

 けれども、一歩踏み出して、その生き方を生きてみると、自分の生き方が全く変わっていくことに気づきます。喜びの溢れる深みが変わっていくのです。イエス・キリストを信じる人をクリスチャンと言いますが「イエスに従う者」とも言います。つまり、私たちは先頭を行くイエスの後に従う「隣人ファースト」の生き方に招かれているのです。

 

 その招きに応答するときに、目の前のこの世の報いではなく、試練の先にある神の報いとしての祝福をいただくことができます。そして、それを得るために、先頭を行く「イエスから目を離さないように」と聖書は私たちに語り続けています。そこから導かれる「隣人ファースト」の生き方は、まさに究極の「人も自分も幸せになる方法」なのです。

牧師 : 宮本幸男

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