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私の信仰「帰ってきた放蕩息子」

 

 

 私を神様に近づけて下さるいくつかの出来事がありました。

1つは私が関学の中学部に入って間もない頃、礼拝で聴いた説教です。 その説教は次の言葉で始まりました。

 「銃弾を受けたケネディ大統領はグッドサマリタンホスピタルへ運ばれました」。そして先生はグッドサマリタン病院の名前のいわれを話されたのです。それはルカによる福音書の「善き サマリア人のたとえ」でした。 ユダヤ人の旅人が強盗に襲われ着物をはぎ取られ半殺しにされて道に横たわっているところ、同胞の祭司が通りがかり、その旅人を見て穢れるのをおそれ、道の向こう側を通り過ぎて行きました。次に通りがかった祭司に仕えるレビ人も、同じように道の向こう側を通り過ぎて行きました。 3番目に通りがかった サマリア人(当時ユダヤ人から忌み嫌われていた)は、そのユダヤ人の旅人を見て手当てし、宿屋に連れて行き、手厚く介抱しました。

 私は神様が私たちに求めておられるのは苦しんでいる人に会えば誰であろうと哀れみの心をもって援助の手を差し伸べることだと知りました。 この説教をして下さったのは恩師の船本弘毅先生でした。

 

 2つ目は十年前、神戸に住んでいた妹から 1通のメールが届いたことです。メールは「関学の先生が妹の家の近くの教会で講演されるので行ってみたら」との事でした。 学校を出て長らく教会に足を運ぶことがなかった私でしたが、気になって講演に行きました。すると何と船本先生が講演をされました。 久しぶりの解逅に感激し神様の導きを感じその教会に通うことにしました。

 

 通い始めて三年目に牧師先生から受洗を薦められました。私はイエスの復活を信じられませんでしたが、クリスチャンになれば信じられるだろうと洗礼を受けました。

 ところで、教会の信徒さんに強者のヨットマンがおられました。荒波にのまれて外海を横断する冒険談は、当時精神的に滅入っていた私に生きる勇気を与えて下さいました。あるときその方の家に招かれ、部屋に置かれたウクレレに目が止まり興味をもったので、ウクレレを始めました。

 

 3つ目は香枦園教会への転会です。夙川沿いの遊歩道を自転車で走っていた時、教会の十字架が目に止まりました。そして中学生の時に通っていた教会であることを思い出しました。日曜日に礼拝に出てみると、当時お世話になった古河静子牧師先生や、中高生クラス担当のK先生、同窓で礼拝堂で卓球に興じたMさんなどに再会し転会を決めました。香枦園教会に戻り、自分が放蕩の限りを尽し、父である神様に導かれて家に戻ったルカ伝の放蕩息子のように思えました。

 

 もし私が関学の中学部に入ってなかったら、もし妹の所に船本先生の講演のチラシが入らなかったら、もし香枦園教会の十字架が目に入らなかったら 、今日の神様に近づく私の信仰の歩みはなかったかもしれません。また教会でウクレレを弾いてみんなと一緒に歌うこともできなかったでしょう。 神様は私が望まなくても私に必要なものをすべて準備して与えてくださいます。私をご自身に近づけてくださる神様の祝福と、成長のための日々の試練にただ感謝するばかりです。

H.H

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