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「どのように信じ、信頼しているのか」
イザヤ55:1~13
使徒言行録13:26~41
パウロは、ハバクク書1章5節の預言を引用して、キリストを信じない人々に「見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。」と厳しく警告しています。
この「一つの事」とは、キリストの十字架、あるいは復活や昇天などの一つひとつの出来事ではないように思えます。なぜならば、聖書に書かれているキリストによる救いの出来事は、すべてが繋がって意味あるものとされているからです。すなわち、「キリストは私たちの罪のために身代わりとして十字架で死んで、墓に葬られ、三日目によみがえり、天に上り、今も生きておられる」という一連の出来事が、信じるべき一つの救いの出来事なのです。
当時のユダヤ人の中には、キリスト福音を聞いてもキリストの救いを信じられない人がたくさんいました。その他にも、イスラエルの神を信じ、ある程度の信仰を持っていましたが、一連の出来事としての救いを聞かされていない人々もいました。そこで神は、わざわざ人を遣わして、彼らに一連の出来事としての福音を伝え、本当の救いに導いていったのです。
もちろん、信仰の度合いによって「あの人は救われている」とか「この人は救われていない」とかを私たちが言うべきではありません。それは神のみが決めることだからです。しかし、キリストの赦しと愛を信じさせ、赦された思いの中でいつも喜んで生きられるようになるための「最低限認識すべき救いの出来事」というものがあるのではないでしょうか。
ただなんとなくイエス・キリストを信じるというのではなく、このお方を「どのように信じ、どのように信頼しているのか」をはっきりとさせておくことが大切です。それによって私たちの生き方も大きく変えられていくからです。その時に私たちが覚えておくべきことは、聖霊は「とうてい信じられない事」を私たちに信じさせ、本当の救いに導こうとされているということです。
牧師 : 宮本幸男