
「アシュラム」の集いに参加して
1月最後の日曜日。礼拝の後、午後のひとときには「アシュラム」の集いが催され、参加しました。
「アシュラム」とは、ア(〜から離れて)、シュラム(労働)
即ち、日常と離れて、主イエスに自分自身を明け渡すことを目的とした集いです。心にある思い(自分が抱えている問題)を主イエスに打ち明け、互いに祈りあう時間を過ごします。
「静聴の時」では、与えられた聖書の箇所を読み、み言葉に心を傾ける時間が持たれます。「分かち合いの時」では、精読した聖書の言葉から感じたこと思ったことを発表し合います。その後、グループに分かれて自分が抱えていることを互いに語り、祈りあいます。
会のはじめに美しい花の写真に聖句が書かれたポストカードが準備されており、各自で好きなカードを選びます。このカードに同じグループになった人は自分の名前を回し書きします。そしてこのカードは(互いに祈り合った仲間の思いは決して口外しない)という信頼の元、一年間大切にします。
今回のアシュラムで与えられた聖書の箇所は、『フィリピの信徒への手紙3章1節から4章20節でした。私の心に強く響いた言葉は、第4章の5節から7節の言葉、「主は近くにおられます。どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めていることを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト·イエスによって守るでしょう。」
これは獄中にあるパウロがフィリピの信徒へ送った手紙の一部です。
私は今までの人生の中でこの言葉から何回も希望と勇気をいただいてきました。
教会に来られ、日曜日に礼拝を共に授かる人々、お一人お一人の人生の旅路は様々です。抱えておられる課題についても、お互いに口にすることはあまりないかと思います。しかし、心の中にイエス様がおられることは大きな恵みだと感じます。
新しい年の初めに自己を見つめながら、信仰を同じくするお仲間の思いに触れ、希望の成就を共に祈り合えた時間が与えられました。心が軽くなった気がしました。