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説教要約2024/10/6「試練を置く」(神学生:坂本子龍)

「試練を置く」

ヤコブ書1章

 

 ヤコブの手紙は短い挨拶の後、すぐにヤコブから、私たちへの勧めが展開されていきます。「私の兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」

 

 試練を希望とすることを知っている私たちですが、現在私たちに多く与えられているのは快楽ではないかと思います。私たちは試練や苦難を目の前にしたときに、逃避先となる快楽を多く知っています。快楽に逃げても問題は解決しないし、より苦痛が増すだけだと分かってはいます。快楽と苦痛は裏表の関係であり、どちらかを追い求めれば、その反対が与えられるからです。私たちは、皆、この世に存在する苦痛から逃避しています。しかしそうやって、苦痛から逃げて、快楽を追い求めても、かえって、苦痛が増してしまう。過去の歴史上、かつてないほどの富と自由、テクノロジーと医療の進歩がある時代に、私たちは未だかつてないほどの不幸せと大きな苦痛を感じています。

 

 私たちは、苦難に向き合い、それを乗り越えることが必要です。

快楽を求めれば求めるほど、苦痛が与えられる。であれば、苦痛を求めれば、快楽が与えられるということでもあります。ランニングや登山とった運動は苦痛を伴う行為でありながら、むしろ喜びになることを私たちは知っています。精神的な苦痛でも同じことが起こります。暴露療法ではその人が逃げたいと思う不快な感情を引き起こすものごとに少しずつ晒し、量を増やしていくことで耐えられる能力が上がっていくと考えられています。そして耐えられるどころか、いつかそれを好きになることもあります。

 

 試練は、大変だと思ったものこそ、その試練の重さで自分がその場にとどまり、自分を強くしてくれるものだと思います。聖書は、「苦難を耐えなさい、苦難を喜びなさい、苦難を誇りにしなさい。」と伝えています。試練は辛く苦しいだけの物じゃない。それは喜びであり、誇りなのだということを心に留めたいと思います。

神学生:坂本子龍

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