「砕かれて命につながれる」
イザヤ57:21
使徒言行録9:1~9
後に使徒パウロと呼ばれるようになったサウロは、教会を迫害していたファリサイ派の中心にいました。彼が教会を迫害した大きな理由は、自分たちファリサイ派が大切にしていた「先祖たちの言い伝え」(口伝律法)を守らなかったイエスを、教会の人々が救い主と信じていたからです。だからサウロは教会の人々を捕らえて処刑しようとしていました。
そのようなサウロは、エルサレムから逃れて行った人々を捕らえるためにダマスコに向かうことになります。しかし、その途中で突然、「天からの光」によって照らされて、地に倒れ、復活のイエス・キリストから呼びかけられました。そして彼は目が見えなくなるのです。
このサウロの目が見えなくなったという出来事は、彼の頑なな心を砕くことになりました。彼はそれまで正しいと確信していたことが、根本から分からなくなってしまったのです。実に、サウロは神の栄光に照らされる中、復活のキリストの言葉を聞くことによって悔い改めに導かれることになりました。
そのように、神はご自身の働きを邪魔しようとする私たち人間の「自己中心的な思い」を砕こうとされるのです。そのためにサウロも大変な試練に遭うことになりました。同じように、私たちも試練に遭う中で、神がご自分に立ち返らせようとされていることに気づくべき時があるのです。
聖書が私たちに教えている大切なことは、共にいてくださる復活のキリストに信頼して、キリストと共に歩むということです。サウロは試練に遭うことにより、キリストの復活の命につながれて、キリストと共に歩む生涯を全うすることが出来ました。私たちも試練の中でこそ、聖書の御言葉の光に照らされ、復活の命につながれることを求めましょう。
牧師 : 宮本幸男