ある日の外来に60代後半の女性患者さんが娘さんと共に姿を現わした。
「先生、お久しぶりです」と、にこやかに挨拶をしてくれた。
親しげに話しかけられたので、私もついつい「お久しぶりです」と返した。
確かに、どこかでお目にかかっているような方ではあったが、具体的なことは思い出せなかった。
「以前、父親を先生に看取ってもらいましたよ」とのこと。お父さまの名前を聞いても、ピンとはこなかった。さらに聞くと、24年前、私の前任地の病院で、父親は肺がんのために永眠していた。
久しぶりに出会ったその患者さんは肝がんで、痛みが強くなり、食欲も減退してきたのでホスピスを受診した。問診では、40年前に胃がんにかかり、胃全摘手術を受け、その時に輸血もしていた。つきそってきた一番下の娘さんは僅か三歳だった。それからは、いつも死を意識しながら親としての自らの責任を果たしてきたという。
肝がんがわかったのは一年前で、夫の勧めもあり治療をしてきたが、がんを抑え込むことは難しいと知った。そのときに、いつまでも治療にとらわれることなく、今回のホスピス受診を選択した。
諦めが早いというか、随分と潔い決断をした。父親をホスピスで亡くした後、自分が胃がんであることも手伝って、ホスピスに興味を持ち、ホスピスケア活動をする市民グループにも足を運び、ホスピスについて勉強してきた。そして自分が末期がんと告げられ、抗がん治療の可能性がなくなった時点で躊躇なくホスピスを受診した。
夫と二人で家業もやっていたが、それもすっぱりと止めることにしたという。その他、やり残したこともないという。やることはすべてやり終え、最期の場所としてこのホスピスを選んだ。
日々の生活の中で、死について思い巡らすことをしていなければ、こうもすっきりとは決断できなかっただろう。死を自己学習してきたので、迷わずに最期の場所を決めることができた。
病を得たことにより、意味深い時間を過ごしてきたに違いない。父親をホスピスで看取り、それからの歳月は自分も最期はホスピスという気持ちを持ち続けてきた。そして迎えたホスピスでの最期の日々だった。
ホスピスで過ごしたのは二十日間であったが、娘さんたちが交互に付き添い、病室からは笑い声が絶えなかった。自分の人生を振り返って、まわりの人に助けられながら充実した人生を歩んできたことを感慨深く笑顔を交えて語った。若くして胃がんをわずらったこともよい経験として受け止めていた。けれんみがなく、スマートに過ごしていた。
自分の人生に課せられた問題から逃げることなく、見事に人生を全うした。死の自己学習を通してほんとうの強さを身につけたのではなかろうか。ほんとうの強さとは人生を全うするために必要なことを知ることである。
遺された二歳上の夫が妻の死からまた何かを受け取って、死の自己学習に努めて充実した人生を過ごしてもらいたい。
細井順