「神の幻の中で生かされる」
箴言29:13~18
ヨハネ20:24~29
弟子のトマスは、仲間の弟子たちが語る「イエスの復活の証言」を素直に受け取ることができませんでした。しかし、イエスは八日の後、トマスの為に現れてくださいました。その時、トマスはイエスによって自分のすべてを愛されていることを知りました。そして一対一の関係の中で、「わたしの主よ、わたしの神よ」と、イエスの愛に信頼を込めて応答します。
その信仰告白に続き、イエスはトマスに向かって「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と語りました。それはイエスを見ることのできない時代に生きる私たちにも語りかけられている言葉です。実に、見ないで信じるところに神が働く空間が生まれます。そして、私たちは自分の為に語られる神の言葉を聞き、応答することができるようになるのです。
そもそも見ないで信じる人は、自分の人生に幻(ビジョン)を持って生きることができる人です。教会創立61周年を迎えた私たちも、将来に希望を持って共通の幻を追いかけているのではないでしょうか。けれども、この先に私たちの一人ひとり、また教会全体の信仰が成長していくと、だんだんと幻を追いかけることが無くなっていくのだろうと思います。なぜならば、自分の幻ではなく、神の幻が私たちを支配するようになっていくからです。
その時、私たちは喜びの中で、神が啓示してくださる壮大な幻の中に生かされていることに気づくことでしょう。たとえ困難な問題に直面しようとも、聖書から与えられる神の言葉を理解して、その言葉に「信頼します」と応答するところに必ず道が開かれていきます。聖書が教えている最も大切なことは、復活のイエス・キリストの愛を信頼して、神の幻の中をキリストと共に歩んでいくことなのです。
牧師 : 宮本幸男