2024/4/6の日記から
そろそろ市民病院横の桜の木も咲き揃い始めました。車を運転しながらここで繰り広げられた光景を何度も何度も繰り返し思い出しています。
2011年の春、由美子さんを囲んで医療スタッフ全員がここに集まって桜の花を見たのです。あんなに楽しいお花見をこれまでに経験したことがありません。それは、ただ横になり天井ばかり見ていて季節を感じることができない由美子さんへの医療スタッフからの素敵なプレゼントでした。この華やかな春爛漫を感じさせてやりたいという医療スタッフの思い遣りからこの企画が実施されたのです。集まってくださった皆さんのお顔には、素敵な微笑みがありました。その笑顔の真ん中で由美子さんも移動式ベッドに横になりながらこのお花見を楽しんだのです。時折、落ちてくる花びらを受け止めようと手を伸ばします。この仕草はまるでこの時間をしっかり掴み取ろうとでもするかのようでした。集まった一人一人がこの由美子さんの思いにつながってでもいるかのようにじっとその仕草を見つめてくださっていました。本当に素敵な時間を与えてくださったのです。この一瞬には、無辜の輝きがありました。その時間には限りがあります。そしてその時間は決して後戻りさせることはできないのです。今、思い返しても最良のお花見だったなと思います。でもその時、誰も来年もまたここで集まれるとは思っていなかったのです。それだけにこの時の花は光り輝くものでした。そして、かけがえのない花でした。あの日を思い返しながら今、こんな句を思い浮かべています。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
この光景と句が溶け合い心の襞に仕舞い込まれていったのでした。
桜の花と言うのは、どうして私たち日本人の生活の中にも心の中にもこんなにも大きな影響を与えているのでしょうか、不思議です。見事な満開の桜を見ると心が躍ります。ああ、良いもの見ることができたなと言うことで誰の顔にも笑みが浮かんでくるのです。それと同時にこの歳になりますと来年もまたこの光景を見ることができるのかな、見れればいいな!あと何回見られるのかな等、散り始めた桜吹雪を見送りながら考えてしまうのです。齢(よわい)を重ねると言うのは、自分の死をこのように見つめながら歩いて行くこの一歩一歩を言うのではなかろうかとも思うのです。梅もいいです、椿も綺麗ですが桜を見ながらこのように人生を見つめ直すようなことはありません。それは、いったい、どうしてなのでしょう?
江戸時代の国学者である本居宣長はこんな句を読みました。
「敷島の大和心(やまとごころ)を人とは(わ)ば 朝日に匂(にお)ふ 山桜花(やまざくらばな)」
梅は咲いている時は確かに見事です。匂いもまた私たちを楽しませてくれるのです。しかし、咲き終わった後には、「薄汚れた」残骸が枝先に残ります。これを見たくないばかりに目を背けて足速に通り過ぎていきます。若葉が覆い隠してくれるまでこのネグレクトは続きます。また、椿はと言えば、どうでしょう。枝には花は残りません。落首のようだと武士は忌嫌ったとも聞きます。しかし、石畳に敷き詰められた赤い絨毯はこれも趣があります。殊に苔むした庭に落ちた真っ赤な椿は、この感がひとしおで思わずカメラのシャッターを切るのです。ところがそこで朽ち果てて行くのは骸(むくろ)を見ているようでとても悲しいものです。そこで庭師は朽ち果てる前に竹箒で綺麗にこれを履き清めてしまうのです。
さて、これに対して桜は、「静と動」とが見事に調和されています。散る時までもが絵になるのです。風に舞い、見事な花吹雪を見せてくれます。川面に落ちた花びらは流れに身を任せて別れを告げ、そっと去って行きます。この姿を潔いと言った時代もありました。赤穂浪士の顛末は、主君浅野内匠頭の辞世の句から始まります。「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」ーーー風に誘われて散る桜の花も名残惜しいが、それよりもなお儚く散っていく私は、自分の名残をこの世にどう留めればよいのであろうか。と自分の悲運を嘆いたようです。しかし、そこから始まる仮名手本忠臣蔵の顛末までは想像できなかったようです。
一方、細川ガラシャは封建社会の中で、政略結婚、人質生活と時の流れに翻弄されるまま物のように扱ってきた時代に生きた女性です。それに対して最期に反旗を翻し、死を持ってそれを清算した女性だと思うのです。果敢に死を選ぶことで自分を生かし切った人がガラシャのような気がするのです。ですから彼女の言葉には浅野内匠頭の辞世の句に比べて生き生きしているではありませんか。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
咲き誇る花の輝きをこの句は全て散りばめて凛と佇んでいるように感じます。
由美子さんもまた、その最後は見事でした。2011年の東日本大地震では、大川小学校の子どもたちが逃げ遅れて亡くなってしまいます。この光景をテレビで見ながら「できることなら自分の命と彼らの命を取り替えてあげたい!」としきりに涙を流していたのです。この時からはっきり自分の終焉の時を意識し始めたようです。最後の時の幕引きである葬儀の采配まで自分でやり切って逝ったのでした。牧師さんと対面し葬儀屋さんと打ち合わせして細部に至るまで葬儀の計画を全て企てて逝きました。そこに臨席くださったお二人ともが「こんな葬儀の打ち合わせは経験したことがありません」とそっと耳打ちしてくださったのです。彼女の散る時を凝視し、決して臆することなくそれに対峙したこの姿にその場に集った3人が皆、感服したのです。ウイニングランを力一杯走り切ったあなたにこのガラシャの辞世の句を贈ってあげたいと思うのです。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
今年もまた、夙川堤には見事な桜のトンネルができていますよ!
田中基信