イザヤ63:7~10
ヨハネ19:28~30
「魔法の杖などありません」
イエスは平和の象徴である「子ろば」に乗ってエルサレムに入城されました。その時にエルサレムの人々は、「ホサナ、主よ、お救いください」と、まるでローマ帝国を打ち破る王を迎えるかのごとくにイエスを迎えました。しかし、その日から5日後には、彼らは「イエスを十字架につけよ」と叫ぶのです。それは、彼らが「愛によって平和を生み出す」神のご意思を理解できず、安易に武力による解決を求めてしまった結果でした。
神は御子イエス・キリストを人としてこの世界に遣わされ、十字架の苦難を伴うみ業によって人間を救おうとなさいました。神は一瞬のうちに救いをもたらす魔法の杖のようなものをお使いにならなかったのです。
それは、私たち一人ひとりの人生にも同じことが言えると思います。つまり、苦難に対して安易な解決を求めてはならないということです。神を信じる私たちは、苦難の中には何か神のご意思があることを信じて、辛くても神から与えられた負担を背負って前に進むしかないのです。
しかし、人間はどうしても自立よりも保護を求めてしまいます。辛い時には、保護をしてもらう方が楽なので、私たちの心に楽をしたいという気持ちが芽生え満ちていきます。そして、楽が当たり前だと思うようになるから、私たちはどうしても悩み苦しんでしまうのです。
けれども、私たちは苦難の中には何かの意味があると信じ、安易な態度を変える先に希望と喜びが現れます。実に、神はイエス・キリストの苦難の先に、復活という喜びを与えてくださいました。だから、自分の信仰を磨く姿勢で、忍耐を持って苦難とぶつかっていきましょう。そこに本当の救いが現れていきます。
牧師 : 宮本幸男