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説教要約2024/3/10「すべてのことに意味がある」

旧約 サムエル上10:1~7

新約 ヨハネ12:1~8 

 

 ベタニアのマリアと呼ばれる女性が、自分の大切にしていた高価な香油をイエスの体に塗りました。けれども、このマリアの行為を無駄な行為と非難したのが、弟子の一人のイスカリオテのユダでした。しかし、イエスはこのマリアの行為に意味を与え、ユダの毒を吐くような言葉から彼女の信仰を守りました。

 

 マリアがイエスの足に高価な香油を塗ったのは、兄弟のラザロを生き返らせてもらった感謝からくるものでした。しかし、それ以上にマリアがイエスの死が近いことを感じていたことが理由としてあったでしょう。だから、彼女は全財産と言っていい程のものをイエスに使うことができました。

 

 そのマリアの信仰は、弟子たちよりも近くでイエスの御言葉を聞こうとしたときに生まれた信仰でした。弟子ですら解らなかったイエスの十字架の受難でした。しかし、マリアはイエスの言葉からそれを理解し、前もって香油を塗るという葬りの儀式をしたのです。

 そして、マリアの信仰はイエスが十字架につくというところで終わりませんでした。イエスの復活の朝に、墓に香油を持って走った婦人たちの名前の中に、ベタニアのマリアの名前は書かれていませんでした。彼女の行動はイエスが復活するところまで理解していたようにも思えます。イエスの言葉に常に耳を傾け続け、得た信仰によって、自分がどういう行為をとるべきかをマリアは理解していたのです。

 

 私たちの信仰も同じです。聖書のみ言葉を聴き祈る中で、神のご計画に気づくならば、それが行動に現れていくはずです。もしも、私たちが信じることに一歩踏み出していくならば、それから先の人生に起こることは、決して無駄なことは起こりません。聖書のみ言葉によって信仰を守られながら、失敗したと思えるようなことでさえ、意味あることとなっていきます。そして、私たちの信仰による行いは、いつの日かすべてが報われていくこととなるのです。

牧師 : 宮本幸男

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