80歳を少し超えた女性だった。お腹の調子が悪くて胃の検査を受けたが異常なしと説明された。それでも不調は続き、激しい痛みに見舞われて大病院に救急車で運ばれた。そこで受けた診断は膵がんの末期で手術は難しいというものだった。納得できず、セカンドオピニオンで大学病院も受診したが、結果は同じだった。抗がん剤を始めたが、副作用のために断念した。そしてホスピスを受診した。
「私は元々出歩くことが好きで、あちこち、海外旅行にもでかけた。自転車とか歩いて琵琶湖一周を何回もやってきた。それくらい元気だったのに、二ヶ月前に膵がんで手術もできないと言われた。抗がん剤も始めたけれど、副作用で手足のしびれがでてきた。思ったように動けなくなってきた。こんな状態なら、二ヶ月や三ヶ月寿命が延びても何もいいことはない。抗がん剤も止めることにした。けれど、悔しい。手術ができるなら手術がしたい」
「そうでしたか。ついこのあいだまで元気で動き回ることができたのに、いきなり末期がんですからね。でも、それはそれでよかったのではないでしょうか。これまでに、自分のしたいことを好きなようにやってきたのですからね。膵がんは発見することも治療することも難しい病気です。平均年齢くらいになってから、膵がんを治療しようとしても、それは思っている以上にたいへんなことです。手術が成功しても元通りの思い描いたような生活に戻れるかは何とも言えません。だから、考えようによっては、神様か仏様か、天の声が『ごくろうさん。よくやってきたね』とねぎらってくれていることかもしれませんよ」
「二人の娘を育てて、夫は10年前に亡くしました。孫は4人いて、ひ孫は二人目が生まれたばかり。ひ孫の顔を見ることができない人も沢山いるから、そういうことを思ったら、恵まれた人生を過ごしてきて、幸せだった」
「幸せだったと思えるなんて、素晴らしい。ホスピスでは痛みや苦しさをとって、『これでよかった』と思って人生を終われるように一緒に考えていきますから。これからの時間を病気の治療で苦しむよりも、人生を締めくくるために、大切なことに使いましょう」
80歳を迎えることができたなら、治すことが難しい病気にかかっても、それは、神様から「もうそろそろ帰っておいで」とあたたかな言葉をかけられていると考えることができたら穏やかな気持ちで過ごせる。
その時、この世の現実的問題で、そうは思えない場合もあろう。だが、それを片付ける時間を神様は与えてくださることも信じて、帰天の心構えを持つことである。SNSに惑わされず、人生は70年、健やかでも80年と詩編にあることを忘れずに生き切ることである。
細井順