「逃げは恥ではありません」
旧約聖書 ヨシュア記20:1~9
使徒言行録8:1~8
ステファノの処刑によって教会は大きな迫害を受けることになりました。歓迎できない出来事ではありましたが、その迫害をきっかけに、イエス・キリストの福音は、満を持して世界に広がっていくことになります。それは、ギリシア語を話すユダヤ人クリスチャンたちが、エルサレムから地方へ逃げ出した先で、積極的に福音を宣べ伝え始めたからでした。
迫害によって教会が分裂した時に、「もう教会は終わってしまった」と、彼らの目には見えたでしょう。しかし、その迫害の中にも、主は共にいてくださって、何かの目的を迫害の中に込めてくださっていると信じたのかもしれません。彼らはユダヤ人以外の民族にも福音を拡大させ、祝福の体験をしていくことになります。
ところで、聖書には神に用いられる様々な人物が登場します。不思議なことですが、その中には逃げた先で神に生かされて、何かをさせられていく人たちが多くいます。まるで、聖書は逃げることは恥ではなく、「新しい始まり」とでも言いたいようです。挫折したその先で、神の恵みを実感する時を、神は誰にでも備えてくださっているのでしょう。
私たちは自分の人生で起こる様々な出来事を、どう見るのかによって人生が大きく変わってきます。物事が思い通りにいく人など一人もいません。試練に倒れた時に、それを神が備えてくださった祝福に至る道であることに気づくことができれば幸いです。どんな時にも将来の祝福を信じましょう。逃げは恥ではありません、挫折して逃げ出した先に新しい何かが始まるのです。
牧師 : 宮本幸男