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説教要約23/11/12「愛されているから美しい」 

「愛されているから美しい」 

ローマの信徒への手紙1:16~17

 

 「愛されているから美しい」という言葉は、ルターが1518年に行った「ハイデルベルク討論」の第28論に関連した一節です。この論題でルターは、「神の愛は、愛するに価するものを見出すのではなく創造する。人間の愛は、愛するに価するものから生じる」、と述べています。愛とは関係を表わす概念です。人間の愛は、対象の価値を前提として関係が成立する世界だと言われています。逆に、対象には価値が無いと見なされるとき、そこに愛の関係は成立しないということです。

 

 そのような人間の愛に対して、ルターは、神の愛は、まったく価値が無いと思われているものの中に、価値を生み出す創造的な行為であると言うのです。神の愛は、対象の価値に依存しない愛であり、私たち人間と無条件に関わってくださる神の恵みの行為だということです。この第28論題を解説して、ルターは、「罪人は、愛されているから美しいのであり、美しいから愛されるのではない」と述べています。

 

 「美しいから愛される」が人間の愛を、「愛されているから美しい」が神の愛を表現しています。

後者の神の愛において、二つのことが確認されます。第一に、神が応報的な義によって人間を罰するのではなく、罪人である私たちを無条件に赦し、愛してくださっているということ。第二に、この神の無条件の愛によって愛されていることを信じ、受け入れるときに、はじめて見える「美しさ」があるということです。これは、イエス・キリストの十字架の死と復活を告げる福音の約束を通して、どんな人間的な物差しによっても決して失われることなく、すべての人間に与えられている美しさ、神によって愛されている者の中に生じる無条件の美しさです。

 

 「わたしは福音を恥となしない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」であると、パウロは力強く語ります。国籍、社会的地位、こどもであるか大人であるかにかかわらず、私たち一人ひとりに「そのままでかまへん。あなたも私に愛されているんだよ」、と語りかける神の言葉が、私たちを恐れから解放し、共に生きる世界へと私たちを自由にしてくれるのです。そのことを信じ、求めて、新しい一週間へと歩み出したいと思います。

関西学院大学神学部教授 : 小田部進一

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