「神の計画の中で生かされる」
創世記45:1~8
使徒言行録7:1~16
ユダヤの最高法院で裁かれたステファノは、周りの人々から拒否され続けたヤコブの息子ヨセフが、やがて自分の家族や周りの人々の救い主になっていったことを取り上げながら弁明をしていきます。ユダヤ人の祖先の歴史を通して、彼はユダヤ教の土台と神髄が、神の民に対する「神の愛」と、「守りの計画」であることを語るのでした。
実にヨセフは、彼を妬む兄たちの手によってエジプトに売られ、奴隷の苦しみを味わいました。しかし、ヨセフは置かれた環境の中で努力し、不思議な導きによってエジプトの大臣にまで上り詰めます。やがて、ヨセフはエジプトを訪れた兄たちと再会し、自分を売った兄たちが、本当は親や弟を大切に思う人間であることを知ることになりました。その時にヨセフは、自分が苦しみに遭ったのは兄たちのせいではなく、自分を通して家族を救うための「神の計画」であったことに気づかされていくのです。
このヨセフの波乱万丈の人生は、「自分の思い道おりに人生が運んでいない」と嘆く私たちに励ましを与えます。私たちは自分の人生がうまくいかないと、環境のせいにし、周り人のせいにしてしまうことがあります。しかし、「神は自分を愛してくださっていて、とことん善いお方だ」と信じることができるならば、人生の苦しみが、実は神の導きであることに気づかされるのです。
環境や周りの人を見るのではなく、神を真っすぐに見るときに、自分の人生に与えられた意味に目が開かれていきます。苦しみの中を歩みながらも、ふと人生を振り返る時に、自分をここへ遣わし置いたのは、神の愛であり、自分のような者の人生にも、神の愛と守りの計画があったことに気づかされます。イエス・キリストの十字架を見上げ、そこに救いを見出す者には、誰にでもそのような祝福の時が与えられるのです。
宮本幸男