「約束の故郷を探し求めて」
創世記22:1~12
ヘブライ11:13~17
「ユダヤ人の父」と呼ばれるアブラハムは、生まれ故郷を離れ、神が約束してくださる新しい故郷を探し求めて旅に出ました。旅を続ける中で、カナン地方に入り、シケムという町まで来た時に、神は初めて、「あなたの子孫にこの土地を与える」と、彼に約束の地を示されます。しかし、アブラハムは神が約束されたものを手に入れずにこの世を去りました。
彼の後を継いだイスラエルの族長たちも、同じ希望を持ってこの地上を歩みました。しかし、彼らも約束の地を受けることはできませんでした。その地を手に入れたのは、それからずっと後にエジプトを脱出した子孫たちだったのです。アブラハムや族長たちは、神が約束されたものを手に入れずに、この世を去ったように見えますが、そうではありません。神がアブラハムたちに約束し用意していたのは、実は地上の故郷にまさる故郷、「天の故郷」だったのです。
聖書はその天の故郷のことを様々な表現で書いています。いずれにせよ、聖書は私たちに死んで終わりではない、次の世界があることを示しています。そして、神は天の故郷に入ることに憧れるすべての者を迎え入れようとされています。私たちがこの世を去った後においても、最善を与えようとしてくださっているのが、この世界を造り、私たち一人ひとりを愛してくださる神なのです。
アブラハムたちをはじめ、天にある故郷を信じて生きた者の人生は、決して無意味ではなかったことでしょう。天の故郷を信じることができるならば、そこに慰めを見出すことができるからです。いつまで続くか分からない、この地上での苦しみを乗り越えて、将来に希望を持って生きることができるのです。
私たち一人ひとりの人生には苦しみがあります。けれども、やがて行く苦しみのない新しい故郷が、すでに神によって用意されています。そこには、私たちがかつて愛した人たちや、親しくした人たちが待っていて、やがて行く私たちを出迎えてくれるでしょう。その約束の天の故郷に憧れる信仰を持って、これからも人生の旅を続けましょう。
宮本幸男