「霊と知恵に満ちて」
ヨシュア記14:6~5
使徒言行録6:1~7
当時、エルサレム教会は急激な信者の増加によって、経済的に困難な状況に陥っていたようです。教会はヘブライ語を話すユダヤ人と、ギリシア語を話すユダヤ人で構成され、すべてを分かち合って生活していました。しかし、この二つのグループは単に言葉だけではなく、さまざまな価値観が違っていました。そのような関係の中で「ぎこちなさ」という雰囲気が生まれていたようです。
そこにギリシア語を話すグループから、夫を亡くした「やもめ」という存在の食べ物の配給が、なおざりにされているとのクレームが起こりました。食べ物を分配していたヘブライ語を話すユダヤ人は、悪意はなくても、同じ価値観を持つ同じグループの仲間のことを優遇してしまったのではないでしょうか。12人の使徒たちは、その問題を重く見て、すべての信徒を直ぐに集めました。そして、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」を7人選び、食べ物の分配の権限を与えることによって、問題を解決しようとしたのです。
私たちは問題が有るのに、問題が無いかのようにして、解決を先延ばしにしてしまうことがあります。問題が有るものは、直ぐに対応しなければ、問題がさらに大きくなっていきます。だから、クレームが起きた時に直ぐにやるということが大切です。
一方、逆に問題が無いのに問題視してしまうこともあります。無い問題を掘り下げて問題視していくと、それによって新しい問題が次々と起こっていきます。そして問題に振り回され、解決の優先順位を見失って疲労していくのです。問題の有る無しも、解決の優先順位も、「霊と知恵に満ちる」ことによって、見定めていくことができるのだろうと思います。聖霊に満たされ、その助けによって知恵をいただくことは、愛の通う共同体を築く上で、とても大切なことなのです。
宮本幸男