「魂の治療薬」
Aさんは80代を迎えたばかりの男性で大腸がんだった。肝臓に転移があり、抗がん剤を続けてきたが、そろそろ限界が近づいてきてホスピスを紹介された。
症状はないが、早めにホスピスを体験しておこうという入院だった。私の訪ねた時にはおかきを食べていた。
「ここは検査もなければ治療もない。放っておかれるだけで、何もすることがない」と退屈していた。
「ここにいても無駄だと思っているわけですね。こんなところじゃ、将来、具合が悪くなったとしても、頼りにならないと思っているわけですね」
「今のところは、そんな気になっている。早く家に帰って、また抗がん剤を続けた方がいい」
「抗がん剤を続けているのですか。あれも副作用とかでなかなか大変でしょう」
「そうよ。先生にいつまで続けるのかと尋ねても、それを決めるのは患者自身だといわれる。続けたければ続けるし、止めたければ止める。それを決めろといわれても、こちらは素人だからどうしたらいいのかわからない。ほんとははっきりと言ってもらいたい」
「抗がん剤の効き目はどうなんですか」
「それを訊いても、先生ははっきりと教えてくれない」
「効いているいかどうかもわからずに、続けたければ続けたらいいし、イヤなら止めればいいと、そういうことですか。なんだか雲を掴むような話しですね」
「けど、止めたらどうなるか。それも心配だ。まだやっている方が安心だ」
「でも、抗がん剤を続けていたら、副作用で体もしんどくなるし、美味しいものも食べられへんじゃないですか。抗がん剤をしてもしなくても、いずれ終わりは来るわけだから、自分のやりたいことをやって過ごす方が得なんじゃないですか」
「私は八〇歳にもなったから、もう欲というものはなくなった。何かしたいとか、何かしなければと思うこともない」
「それならなおのこと、効いているかどうかもわからない抗がん剤は止めたらどうですか」
「そうかもわからんね。勧められたから続けてきたけれど、この先、しんどい思いをしてまで続けても、どうなんやろうな」
「今の生活は抗がん剤に合わせて時間を割り振っているけれど、それでいいんですかね。抗がん剤を止めたら、医者の一言に人生を左右されずに済みます。そうしたら、自分で責任を持って、本来の人生を過ごすことができるようになりますよ。これからの時間は自分の時間として使えますから、その時間を使って、どうしたら恥ずべきことなく人生を終えることができるかを考えてみたらいいのではないでしょうか」
「私も人生の終わり方を考えている」
「でも、抗がん剤を続けるなら、それはまだまだ生きようとする方向じゃないんですかね」
「ウーン、そうか。私は公的な仕事も沢山してきたので、他人の話はよく聴くことにしている。細井先生の考えもよく噛みしめてみます」
「ホスピスは一見退屈にみえるところですが、本来の自分の姿を考えてもらうために、周りから雑音を入れないようにしているのですよ」
二日後の退院の日、「細井先生に会って、いろいろと考えさせてもらいました。抗がん剤の先生と今度はきちんと話し合ってみます」という言葉を残してホスピスを後にした。
Aさんは私のことを「先生」と呼ばずに、「細井先生」と呼んでくれた。大概の患者さんは二人で話すときには「先生」と呼ぶ。わざわざ「細井」をつける人はいない。このことはAさんの長年の人間付き合いのコツなのかもしれない。人間同士としてお互いに影響し合う関係性を望んでいるようだ。それは抗がん剤以上の治療薬になるだろう。生死をこえた「いのち」につながる魂の治療薬である。
細井 順