「争いのスイッチ」
イザヤ8:5~15
使徒言行録5:27~42
ユダヤの最高法院で決められたことは、ユダヤ人であるならば、いかなることでも従わなければなりませんでした。絶対的な権力を持つ最高法院は、不当な裁判によってイエスに死刑の判決を下し、十字架の上で処刑しました。その時にイエスの弟子であった使徒たちは、その権力を恐れるあまり、「自分はイエスとは関係ありません」と言うしかありませんでした。
しかし、使徒たちは復活のイエスと出会った時に、神の限りなく深い愛を経験し、恐れを捨て去ることができました。そして、「二度と人間の権力に従ってはいけない、二度と神に従うことを諦めてはいけない」と、心に堅く誓うことができたのです。
そして、イエス・キリストを宣べ伝えることを禁止しようとする最高法院の議員たちに向かって、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と、はっきり答えることができました。それを聞いた大祭司やサドカイ派の議員たちは、激しく怒り、不当に使徒たちを殺そうと考えます。
「自分が正しいと思ってやっていることが、もしかしたら、神の御心に沿わないことで、神に逆らう者となるかも知れない」。この発想は神を信じる者にとって、とても大切なことだと思います。しかし、大祭司やサドカイ派の議員たちは、自分たちがいちばん正しいと思う殻に閉じこもっていました。そこに人間誰もが持つ「争いのスイッチ」が潜んでいるのだと思います。スイッチが入ることによって、彼らは激しく怒り、使徒たちを殺そうするまでになっていきました。
私たちは一人ひとりが持っている価値観を、「なるべく否定せず、大切にしたい」と考えています。しかし、一度そのスイッチが入ってしまうと、自分とは異なる相手を認め、受け入れることが全くできなくなるのです。争いのスイッチが入って後悔しないために、私たちはいつも、「神さまの御心は何か」を尋ね求めていく必要があるのです。
宮本幸男