ヨシュア7:1~26
使徒言行録5:1~11
「聖霊の支配、サタンの支配」
初代教会の信者の間には一致がありました。富んでいる者が自分の財産を売り、使徒たちを通して貧しい人々に分配するという、目に見える形としての一致が現わされていました。その手本になるような人がバルナバでした。彼は自分の土地を売ったお金を、貧しい人々のために使徒たちに託したのです。
続いて、バルナバとは対照的な人物として、アナニアとサフィラの夫婦が登場します。この夫婦が人々から称賛を受けるためにした行為から、初代教会の中に「聖霊を欺く罪」というものが現れました。教会の中に神の霊が豊かに働き始めた時代には、そのような罪は厳しく対応されなければならなかったようです。二人はその罪によって、この世の命を取り去られました。そして、アナニアとサフィラが教会を去った後、それまでにも増して聖霊が豊かに働き始めたのです。
ところで、使徒ペトロはこの罪の原因を、「サタンに心を奪われた」結果だと語っています。すなわちこの時に、二人の人格が、神の喜ばれない悪しきものに支配されていたということです。一方、「聖霊に満たされる」という言葉があります。それは聖霊によって私たちの人格が支配されている状況です。「サタンに心が奪われる」ことと、「聖霊に満たされる」こととは、正反対にある状態なのです。
今日を生きる私たちも、さまざまな良からぬ動機から、サタンに心を奪われて、神と人を欺くような失敗してしまうことがあるのではないでしょうか。それを神はお喜びになりません。それでも神の前に自分の罪を認め、悔い改めて赦しを祈ることが、私たちに与えられる究極の生き方です。
悔い改めるという私たちの姿を父なる神は見てくださり、何よりも喜んでくださるのです。
もしも、アナニアとサフィラの夫婦が聖霊に満たされていれば、そのような罪を犯すことはなかったでしょう。もし犯したとしても、悔い改めて、赦しを得ていたことでしょう。どんな罪であろうとも、神の前に素直に悔い改めるならば赦されます。その罪に気付かせていただくために、まず自分が聖霊に満たされ、神の支配の中に入れられることを祈り求めていきましょう。
宮本幸男