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説教要約23/8/20「自分を曲げないで生きる」

「自分を曲げないで生きる」

申命記8:11~20

使徒言行録4:12~22

 

 使徒ペトロとヨハネは、神殿域において、十字架で死んだイエスが復活して生きていることを宣べ伝えていました。それをユダヤの指導者たちから、神殿の権威を無視した行為と見なされます。そしてユダヤの最高法院の裁判の場において、議員たちから尋問されることになりました。

 

 その尋問に対して二人は、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と、自分たちが、イエスの絶対的な権威の下に行動したことを証言しました。これは議員たちにとっては、とても大胆に感じられ、驚くべき宣言になりました。

 

 さらに議員たちはこの二人を観察して、かつて同じように尋問したイエスのことを思い出して驚きました。自分を曲げることなく、十字架で処刑されたイエスに、二人が似ていることに議員たちは驚いたのです。ペトロたちは弟子として、イエスと共に3年以上過ごしましたから、似てくるのは当たり前です。しかもこの時、二人はキリストの霊、聖霊によって語っていたのでした。

 

 この箇所は、「人間は誰でも、聖霊の働きによって変えられる」ことを私たちに教えます。かつてイエスを裏切り見捨てた二人も、裁判の場で危険を省みず、大胆にイエスを証しする人に変えられました。二人のようにイエスの愛を信じ、その救いに生かされている人は、自分らしく堂々と振舞うことができるのです。決して自分を曲げるようなことはありません。

 私たちは聖書を読み、祈るたびにイエスと出会うことができます。毎日をイエスと共に過ごしています。さらにキリストの霊、聖霊をいただいている者です。ですから、私たちも徐々にイエスに似た者として変えられていくのです。神に愛されて、この世に生かされている私たちの信仰生活のゴールは、喜びの命に溢れる人、実にイエスに似た愛の人となることなのです。

 宮本幸男

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