「軸足を移すことができたら」
あるがんサロンで初老の男性に会った。古希を前にしていた。10年前に大腸がんと診断されて、手術を受けた。ステージⅢと告げられて、手術後抗がん剤を続けた。しかし、術後4年で肝臓への転移が分かった。そこは切り取ったが、その次の年には肺への転移が見つかった。その後も、肝臓への転移が新たに見つかった。抗がん剤の種類を変えて何とか抑えこんでいた。
だが、進行は止むことなく続き、抗がん剤は限界に近づいていた。セカンドオピニオンを求めた。遺伝子パネル検査も受けて、可能性があるなら、新しい治療薬の臨床治験に加えてもらって、何としても抗がん治療を続けたいと思っていた。
しかし、二ヶ月前から背中の痛みが出てきた。主治医からは、がんの進行は続いていることや、新たな治験への参加の見通しはないことを伝えられた。そして、痛みの治療に専心するために、緩和ケアを勧められたとのことだった。
奥さんと二人でがんサロンに現われた。大柄で、背筋を伸ばし、声にも張りがあったが、決してこの場を望んではいないような硬い表情だった。近頃は、背中の痛みが急に激しくなることに悩んでいた。主治医にもらった痛み止めも効かないのだそうだ。10年間、がんを無きものにしようと必死になって戦ってきたのだが、その終戦を余儀なくされるような状況になり、こころの状態を整理しきれない様子だった。急に痛みが増してくるのも、そのあたりに原因があるようにもみえた。
この10年間、がん治療を続ける中でも、三人の息子さんはそれぞれ結婚して、家庭を持ったという。新型コロナ感染症のために、三男の結婚式をやむなく延期していたけれど、最近になってそれも挙げることができて安堵したと。
現在は、近所に住む共働きの長男夫婦を助けて、二人の孫の世話をして、成長を間近に見ることで大きな楽しみがあるという。だが、生きがいではないと話した。
「座して死を待つ心境にはなれない。何かいい治療法があるならそれをやりたい。できる範囲で…。それを探している」と。
人生の終わりの迎え方が、がんとの闘いの果てでいいのだろうか。話してみると、この人は、論理的思考がしっかりとできる人だ。知の世界に軸足を置いて闘ってきたが、ここらで人間とは信の世界(孫の成長なども含めて)に支えられていることに気づき、そちらに少し軸足を移すことができたら、「自ずから然り」と受け止めることができるだろう。
細井 順