申命記34:10~12
使徒2:25~36
福音書の中のイエスは、自然界の空の鳥や野の花を指さしながら、「神の目から見て、一人ひとりの人間がどれほど大切なのか」を教えています。それは鳥や花にまさる私たちの存在そのものに、神は大きな価値を認めているということです。
そのイエスが逮捕されると、弟子たちはイエスを見捨てて逃げました。さらに、彼らはイエスとの関係を否定してしまった罪悪感から、自己嫌悪に陥り、自分の価値を見失ってしまいます。けれども、イエスは復活して、そのような弟子たちに現れてくださり、信仰を回復させ、立ち直らせてくださいました。
それと同じように、私たちも取返しのつかない失敗の経験によって、自信を喪失し、自分の価値を見失ってしまうことがあります。しかし、私たちがキリストの十字架を見上げる時、キリストが私たちを立ち直らせるために、特別に語りかけてくださっていることがあります。
それは十字架にかかられた「神の御子イエス・キリストの命の価値と、私たちの命の価値は同じだ」ということです。キリストは私たちを救うために、身代わりとなって十字架にかかってくださいました。その出来事が「同じ命の価値」を表わしています。そして、それを私たちに伝えるため、キリストは死んで葬られましたが、三日目に復活してくださいました。
さらに天に昇られ、聖霊という神の霊、キリストの霊を送ってくださって、私たちの内に永遠の命となって生きてくださっています。それは傷ついた私たちが、自分の命の価値を取り戻していくためです。私たちはいくら失敗して倒れても、十字架を見上げるならば、聖霊の力によって自分自身の価値を再び発見し、救われていくのです。
やがて私たちに死を迎えるという最大の試練が訪れます。しかし、その時すでに私たちの心の中に、救いの確信が積み上げられているならば幸いです。それは、神の目から見て価値ある自分も、イエス・キリストと同じように、必ず神が復活させてくださるという堅い確信です。その究極の確信は、すべての恐れから私たちを解放していく力を持っています。
宮本幸男