「祈り求める命のパン」
出エジプト16:4~16
ヨハネ6:34~40
今日は復活節第四主日、そして香櫨園教会の創立60周年を記念する礼拝です。イースターからしばらく、ルカ福音書で描かれた復活のイエス・キリストの物語が続いていましたが、この物語はイエス様の活動の初期の頃、二匹の魚と五つのパンを5000人で分け合った日の翌日の出来事になります。皆でパンを食べ、お腹いっぱいになった人たちは、翌朝イエス様がいないことに気が付いて、イエス様を捜しに行きます。
湖の向こう岸でイエス様を見つけ、
「いつここにおいでになったのですか?」
とイエス様に尋ねました。イエス様は答えます。
「よくよく言っておく、あなたがたが私を探しているのは、しるし「奇跡の業」をみたからではなく、パンを見て満腹したからだ、朽ち果てる食べ物のためではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物の為に働きなさい。」
この永遠の命に至る食べ物こそが、今日読んだ聖書で示された物です。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
私は大学に入学してすぐに入院を経験し、その際に医師から絶食を命じられました。パンも水も取ることのできない状態にあったのです。その時にこの聖書箇所を読みました。私を信じて、私のもとに来た者を私は飢えさせないし、乾くようにはさせないとイエス様は断じています。絶食で食べられない私でも唯一食べることのできる「命のパン」を得ることができたのです。
イエス様の復活以前は、物質的なパンを与えられて食べていました。今の私たちはイエス様の復活の後の時代を生きています。イエス・キリストの犠牲と復活によって目が開かれ命のパンを頂くようになったのです。
それでも不安な時、聖書をめくれば、「命のパン」であるイエス様が私たちに語りかけ、信じるためのシルシを見せてくださります。香櫨園教会の60年の歴史は、震災など多くの困難がありました。瓦礫の中から再建されたこの教会堂はイエス様が私たちに与えてくれたシルシなのではないでしょうか。
坂本子龍神学生