イザヤ51:1~6
ルカ24:36~43
「失った方との喜びの再会」
十字架で死んで墓に葬られ、三日目に復活した日、イエスは集まったすべての弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」と語られました。しかし、その姿を見ても弟子たちは、半信半疑で素直に信じることができなかったようです。それどころか彼らは恐れおののき、亡霊を見ているような反応を示しました。
そのような弟子たちに、イエスはご自分が亡霊ではないということを分らせようと、「触ってよく見なさい」と手足を見せられました。さらに弟子が焼いた魚を取って、彼らの目の前で食べるのを見せもしました。そこまでしてまでも、イエスはご自分が体をともなって復活したことを、弟子たちに知らせようとされたのです。それは弟子たちが、悲しみから立ち上がり、平安に生きるようになるためでした。
聖書に霊ではなく、イエスの体をともなった復活が書かれているのはなぜでしょうか。もし、私たちが失った愛する人との再会を経験することが出来たとしても、霊だけでは心から喜べないことでしょう。愛する人の姿を見て声を聞いたならば、誰でも生前と同じようにして触って抱きしめたくなるはずです。それができなければ、喜べないどころか悲しむことでしょう。
神は悲しむ私たちを憐れに思ってくださって、イエスと同じように、私たちの失った人の体を復活させてくださるのです。そして私たちをも復活するようにしてくださり、復活した者同士が、再会できる祝福を用意してくださっています。神がそこまでしてくださるのは、私たち一人ひとりの心の奥底にある言葉に言い尽くせない願いを、すべて知っていてくださっているからです。
宮本幸男