「人生の挫折から復活へ」
列王下7:1~16
ルカ24:13~35
この二人の弟子たちは、イエスの十字架の死によって、希望を失い挫折していました。とりあえずエルサレムを離れ、自分の故郷の家に帰ろうと、暗い顔をして歩いていたのです。そこに見知らぬ人が近づいて一緒に歩きました。実はそれは復活のイエスご自身だったのです。イエスはご自分に気づかないで絶望を論じ合ってる弟子たちに、聖書全体に渡って書かれているご自分の十字架の意味を説明しながら希望を語りました。
このように同じ出来事を見たり聞いたりしても、一方では暗い顔で、絶望しか語ることかできないのに対し、もう一方では、その出来事の中に明るい希望を見出して語れることがあります。その原因は出来事についての「見方」の違いです。見方が違うと、同じ出来事でも全く違って見えるのです。
ところで、この香櫨園教会の60年の歴史の中で一番記憶に残っていることは、28年前に起こった阪神大震災ではないでしょうか。その大地震によって、教会の建物も組織も一瞬のうちに壊滅してしまいました。
当時の主任牧師の古河治先生は、遠方より応援に駆けつけてくださった武間牧師夫妻の要望に応じて、瓦礫の中での聖餐式を執り行いました。その後、古河先生が「この突然の聖餐式には一体どんな意味があるのであろう」と思い返していたときに、「この教会の復興は私がするのだ」との声が聞こえたということです。ふと見ると、講壇のあったすぐ手前の場所に、白い衣を着た復活のイエスが立っておられるのを古河先生は見ました。
その時に古河先生は、「さっき執り行った聖餐式の司式者は自分ではなく、このご臨在の主であられた」ことに気づかれました。それからというもの、困難な教会復興のため、古河先生を先頭に教会の皆さんは立ち上がることができました。挫折と絶望にしか見えない出来事の中に、共にイエスがいてくださる明るい希望を見出したのです。
やがて見事な会堂が再建され、教会は感動と喜びに満たされました。それは復活のイエスの言葉が実現したことに心が燃やされる体験でした。
宮本幸男