エレミヤ31:1~6
ヨハネ20:3~18
イエスを慕うマグダラのマリアは、イエスが十字架で処刑されて息を引き取る際も、その死を最期まで見届けました。そして彼女は日曜日の朝早く、イエスが葬られた墓に急いで向かいます。しかし、墓の入り口から石がとりのけられ、墓の中は空っぽになっていました。泣きながらイエスの遺体を探すマリアに、ご自分の存在を知らせるため、復活のイエスはマリアの背後から声をかけられます。自分の目の前の救いを探してあくせくしているマリアに、見えないところから声をかけられたのです。
私たちの人生においても、自分の目の前の見えるところに救いを探してあくせくしているときに、イエスの語りかけによって、見えないところに気づかせていただくことがあります。現実に自分に起こる出来事にたじろぎ、戸惑いながらも神を信じ続けて行く時に、聖書の言葉や祈りの中から、思ってもみなかった神の語りかけがあるということです。その語りかけによって、今まで気づくことのなかった救いが見えてくるのです。
つまり、自己中心的な私たちは自分から変われるのではなく、イエスに語りかけられることによって、何かに気づき、変えられていくのです。それは自分の力を頼みにする人生から、イエスの語りかけによって生かされる人生に変えられるということです。
また、イエスに語りかけられて、自分の過去の人生を振りかえって見させていただくことも尊いことです。どんなつらいことに思えていた過去でさえ、思いもよらなかった神の愛が隠れているのです。もしも、つらい試練の中にあった神の愛に気づかせていただけるならば、私たちはそれからの人生を、ただ神の愛だけを信じて生きていけるようになります。決して滅びることのない信仰と希望と愛のうちに生かされていくのです。
宮本幸男