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証人になる

 「証人になる」

 

 70歳を過ぎたばかりの男性である。独身だった。

昨年見つかったがんは手遅れの状態で、取り除くことはできなかった。食事が摂れるようにするために人工肛門を造る手術だけを受けていた。抗がん剤治療を始めたが効果がみられずに、ホスピスに入院することになった。

 

 初対面では、諦めの境地というのか、サバサバしていたように見えた。入院して一月が過ぎたころから、がんの転移によるしこりが身体各所に出てきた。始めは小さいものであり、切り取ることはできないかという希望を口にした。なにせ相手はがんなので、切れば終わりというわけでもない。見ているのもつらいけれど、ヘタに手を出さない方がいいと伝えた。

 

 足の付け根のしこりは、歩くことを困難にしていた。首にできたものは、わずか1週間の間にも大きくなってくるのがわかるほどに進行が速かった。胸や腕が痛み、しびれも出てきた。食事はつっかえるようだと話す。しこりが目にみえるので、それが大きくなる度にがんが進んでいることがわかった。

 「なんでこんなになってしまったのか」、「畜生!箸も持てなくなってきた」、「死が近づいてきていると思う」と不自由になってきた右手でベッドを叩いては悔しさをにじませていた。

そのような状態ではあるが、スタッフへの依存は少なく、人工肛門の処理など、自分でできることに努めていた。自律して過ごし、スタッフには丁寧に応対してくれた。

 

 この方は、水回り工事の小さな会社を営んでいた。独身でもあり、仕事も生活上の問題も、責任を自分一人で抱えながらどうにかやりくりをしてきたという。ある雪が積もった朝、輝くような雪景色が広がっていた。雪の思い出は?と尋ねると、雪の日は仕事が大変だった思い出しかないと冷めた表情で返事をしてくれた。このことから、春夏秋冬、頼まれた仕事をコツコツと真面目にこなしてきた姿が偲ばれた。

 

 人生経験の中で培われたものが、ホスピスでの日々の生活に現われる。それにしても、終わりの日を自覚しながら、落ち着いて見事な過ごし方をした。がん末期の生きづらい日々を改善できなくても、言い訳もせず、誰のせいにもせず、まわりに当たり散らすこともなく、自分の運命に抗うことなく、しかし、負けることでもなく、真摯に現実に向き合っていた。

 

 ホスピスで死を看取るということの中には、この人のように、自分に課せられた十字架を背負い、運命から逃げることなく人生を生ききったことを見届けることも含まれている。   

 亡くなられた後、遠方に暮らしていた兄二人には、この方が最期の最期まで立派に生き抜いたことをホスピスでしっかりと見届けたことを伝えた。ホスピスが見事な生き様の証し人になった。

細井順

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