「この世の闇をひっくり返す」
出エジプト34:29~35
ルカ9:28~36
私たちの神への祈りというものは、神に自分の願いを聞いていただくものです。しかし、決してその願いを叶えてもらう目的だけのために祈るのではありません。自分が願ったことに対して、神からの答えがどうであれ、答えを受け取るまでが祈りなのです。この時イエスもご自分が十字架につけられて殺されることが、はたして父なる神の御心なのかどうかを聞く為に、山に登って祈られました。
するとイエスが祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝きました。そこにモーセとエリヤが現れてイエスと話をしました。モーセは旧約聖書の律法、エリヤは旧約聖書の預言書を象徴していることから、この二人が現れたということは聖書のみ言葉が現れたということです。また、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」ことから、ここにイエスが十字架で殺されていくことが、神の御心であることが示されたことが分かります。
それにしても、イエスの惨めな「最期」が示されたときに、イエスの姿が輝いたとは不思議です。なぜならば、私たちは努力をして特別な何かを手に入れた人を輝いていると見るからです。十字架で殺されてしまうイエスのような生き方は、私たちの目には輝くどころか、最も惨めで真っ暗な生き方のように映ります。けれども、自分を捨てて神と人とに仕えようとするイエスを、神は究極に光り輝く姿に変えたのでした。仕える生き方をするときに、人は最も輝けることを聖書は語るのです。
私たちは仕えて生きることを願いながらも、自分の利益ばかりを考えてしまっていることがあります。そのような闇の中にいる時に、私たちも祈りによって神の御心を示していただく必要があります。示された尊い御心が確信できた時、誰であっても自分をコントロールできないような闇の中から引き出されていきます。真っすぐに光の中を歩み始めることができるのです。
宮本幸男