「日毎に背負う十字架」
イザヤ63:7~11
ルカ9:18~27
ある日イエスは弟子たちに、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」と語られました。この言葉は現代において、神からの救いを誤解して生きる私たちにも語られている言葉です。
自分の苦しみや弱さとして背負う十字架を、私たちは自分の目で見えるところでしか考えようとしません。自分の力では十字架を背負えないと判断してあきらめてしまう時があります。その時、私たちはすでにイエスの与えようとされている本物の命を失っています。
しかし、自分の力だけに頼って生きることをやめて、神が最善をなしてくださることを信じ、「神さま、全部お願いします」と祈るところに、神が必ず働きます。そうすると、今まで自分の力に頼って偽物の命にしがみついていたところから解放されていきます。神にすべてをゆだねて、「大丈夫なんだ」と思えた時、すでにその人の内に本物の命の満たしが始まっているのです。
自分の苦しみや弱さを、神が自分だけに与えてくださっている十字架と信じましょう。神が必ず助けてくださると信じて、その十字架を丸ごと背負って毎日を歩みましょう。そうすれば、たとえ苦しみの中で挫折して、周りの人からは、二度と立ち上がれないように見られたとしても、その人はやがて復活するかのように立ち上がります。それらが起こるのは、まるで生まれ変わったかのような喜びに満たされながら、永遠の命を味わうようになる為です。
宮本幸男