「あきらめない愛」
イザヤ41:8~16
ルカ9:10~17
ある日、イエスと弟子たちに特別なやり取りがありました。弟子たちは夕方になったので、5000人以上集まっていた群衆を解散させ、自分で宿をとり、自分で食べ物を買いに行かせようとします。そんなことは自己責任だといわんがばかりの弟子たちに対して、イエスは群衆を帰らせずにパンを分け与えなさいと言います。しかし弟子たちは、5つのパンしか手元にないことを理由に、それは不可能だと答えました。
それを聞いたイエスは、5つのパンと2匹の魚を取り、裂いて弟子たちに渡して群衆に配らせました。するとすべての人が食べて満腹したというのです。さらに驚くべきことには、配るために使った籠の中には、まだ大きな恵みがまだ溢れていました。この奇跡の中に、誰もが待ち望む神の国、神の支配が現れました。それほどまでに神は気前よく、その愛には限界がないという「しるし」でもあります。
私たちも同じように、どんなに小さく見える恵みであっても、それを感謝していただくと共に、自分がいただいた恵みを裂いて、またどこかの誰かに渡すように召されているのです。心が飢え乾いて救いを求めている人々のため、私たちは今日もイエスから、神の恵みの御言葉というパンを手渡されていると言ってもいいでしょう。
また、私たちは何かの理由で罪を犯し、孤独になってしまった人のことを自己責任だとはとても言えません。ただその人に、「パンを渡してあげる人がいなかっただけだ」ということを知っているからです。
私たちは神から恵みを与え続けられているお互いです。この恵みを身近な人々に手渡しましょう。その善意を拒否されることがあるかもしれません。しかし、あなたが恵みを与えられているということは、必ずそれを必要としている人が何処かにいるということです。だからあきらめることなく、永遠の命に至る恵みの御言葉を受けたなら、今度は必要としている誰かに渡してまいりましょう。
宮本幸男