ヨブ2:1~10
ルカ5:12~26
「隣人の魂となって祈る」
ここに登場する「重い皮膚病を患っている人」と「中風の人」は、当時のユダヤの社会では、もう用がない者として扱われていました。しかし中風の人の方は、まだ彼の為に心を配ってくれる人たちが周りにいたことが幸いでした。彼らはどんな病でも癒すイエスの噂を聞いて心動かされ、中風の人をイエスのもとに大変な苦労をして運びます。中風の人の体も魂も病み、動きたくとも動けないほど気力も失せていたことでしょう。その時にまるで中風の人の魂になり代わるかのようにして、彼らの魂は動かされ、それが困難を乗り越えさせたのです。
イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と中風の人に宣言し、病を癒しました。この時のイエスは、癒しではなく罪の赦しを先にされました。それは罪の問題こそ、人生のすべてに関わる重大な問題だったからです。聖書が言う罪とは、罪を犯すことではありません。この時の中風の人の「罪」とは、「自分は神に呪われていて、病という罰を与えられている」と思い込んでいることでした。本当は神に愛されているのに、愛されていないと絶望をしていたのです。その思い違いこそが彼の「罪」だったのです。
私たちにも同じような思い込みによって、神のみ心とすれ違って生きていることはないでしょうか。それは罪の中に生きているということです。けれども、どんな人生であろうとも、そこに深い意味があることを信じさせてくれるものが、キリストを信じる信仰です。そして、「人よ、あなたの罪は赦された」というイエスの宣言は、その人の人生を劇的に変えていきます。この宣言は、「わたしはあなたを愛している」という、全ての人に安心を与える神のメッセージなのです。
宮本幸男