「クリスチャンになりたい」
40代後半の女性患者さんである。夫と娘さんが二人いた。ホスピスにきて4日目だった。
「ホスピスの玄関に、あなたがたを休ませてあげようと書いてあった。今までは、がんばらなければならないといつも気が張っていたけれど、ホスピスで皆さんに優しくしてもらって、がんばらなくてもいいんだと思った。私は今まで宗教には関心がなかった。でも玄関を入ったときに眼にした言葉ですごく安心した。私もクリスチャンになりたいなと思う」
「何回も手術したし、抗がん剤もいっぱいやってきてほんとにおつかれさまでしたね。いろんな苦しいところを必死に通ってきたから、ホスピスの玄関の言葉が心に響いたのですね」
「でも、一方で皆さんに甘えて、こんなにのんびりしていてもいいのかと自問自答もしています。動けるあいだにやりたいことがまだいっぱいあります」
「焦っているのですか」
「焦っているわけではないけれど、そんなにゆっくりもしてもいられないという気になります」
「これからは、神様に苦労をしてもらって、自分は苦労せずに、やりたいことを一つひとつやればいいです。今までは自分で決めて自分で責任を取らなければならなかったけど、これからは神様が責任を取ってくれますよ。神様を信頼して。信じるというのはそういうことだから」
「そうですね。神様を信じたらいいんですからね」明るい表情になる。
「クリスチャンになって神様を信じたら、これからは痛みが全く消えてなくなるというものでもないので、また痛みがでるときもあります。その時でも、自分ひとりで痛みに耐えているのではなくて、いつも神様が自分のことを見ていてくれると思うと、痛みは耐えられるものになるしね」
「いつも神様が見ていてくれるのですね。ひとりじゃなくて、いつも一緒なんですよね」
「考えてみたら、今までも、手術のときも、抗がん剤のときも、しんどいときには神様が見ていてくれたのかもしれへんですよ。だから、ホスピスにきたときに玄関のことばが心にとびこんできたんとちがうかな」
「そういうことなんですね。神様がみててくれたんですね」眼が輝いていた。
来週には4人で家族旅行を計画中という。神に守られていることを支えにして無事に達せられることを祈りたい。
細井順