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人生を全うする

 ホスピスですごす70代後半男性がいる。肺がんで、2ヶ月ほど入院している。

この数年、新型コロナ感染症の影響で、ホスピスで過ごすことは、以前ほど楽ではないかもしれない。それは、感染防止の観点から社会とのつながりが制限されて、閉鎖的になってしまったからである。ケアと感染防止の狭間で、病院としても苦渋の決断ではあるが、ボランティア活動を控え、家族面会においても時間や人数に上限を設けている。

 

家族が自由に出入りできる状況下ではないので、病者がひとりで過ごす時間が長くなった。そうすると、自然と訴えることも多くなる。「家に帰りたい」と願うことや、「早く死にたい」と嘆くことも増えた。

前者には、家族の協力を得て、家に帰ってもらうようにしている。コロナ以前に比べて、自宅で最期を迎える人が増えたという現実もある。

しかし、後者の「早く死にたい」と嘆く人たちは、それだけ状態が厳しい人たちであり、全体的にみると、家よりもホスピスの方がいいかなと思える人である。特に、肺がんの場合は、息苦しくなることが多いので、その時は、痛みよりも死の怖れと直結してしまうことが多く、症状が何重にも増悪する。この人もそうだった。「生きていても何もいいことはない。はよう死にたい」と顔を合わせる度に訴える。

 

「そうやなあ、死んだら楽になるやろうな。そやけど、ここまでがんばってやってきた人生やん。元気な者が思う以上に毎日がしんどいかもしれんけど、自分の一存でそんなに命を粗末にしたらあかんのと違うやろか。親からもらった命やし、自分の人生を全うせんと、親に顔向けができひんやんか」と話しかけた。

 

「全うしたら、助かるんか」とその人は訊いてきた。

「全うするっていうことは、人生を卒業するということやんか。もうすぐ卒業やで。しっかりと卒業証書をもらわんとあかんやん」

「卒業証書…、もらえるやろか」と自信なさげに呟いた。

「人間誰でも留年することはあるけど、皆、卒業証書はもらえるから。もう少しやんか、ここで諦めたら、今まで死んだほうがましやと思えるくらいのところを必死になってがんばってきたのもパーになるやんか」

「うまいこと言うなー。ありがとう。また来てや」と両手を差し出してきた。それに応えて、しっかりと両手で握り返した。

 

 人間は、ひとりでは生きられず、苦しいことを誰かに認めてもらえないと生きてはいけない存在である。

『いつくしみ深き友なるイエスは…』、この賛美歌が胸に浮かんできたひとときであった。

細井順

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