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説教要約22/11/6「そんな自分を引き受ける」

「そんな自分を引き受ける」

箴言14:24~35

マルコ9:38~43

 

 イエスは物事には順序があって、いちばん大事なことのためには、二番目以下のことを手放すことを勧めます。イエスを救い主だと信じることができた弟子たちは、次に自分自身の姿が変わっていかなくてはなりませんでした。そのためには二番目に大事なことを捨てる勇気が必要だったのです。私たちも同じで、常に変化を続けてイエスに似た者となっていかなくてはなりません。いちばん大事なことだけを求めて生きていると、自分の人生に対する価値観の変化や、神に対する理解の変化が起こっていきます。それによって私たちも変わっていくことができるのです。

 

 そのいちばん大事なものとは、聖書に書かれている「永遠の命」です。別の言い方をすれば、「神の国に入る」ということです。その具体例として、イエスはここで「一杯の水を飲ませる」ことを語りました。たった一杯の水だとしても、愛を持ってその一杯を飲ませる者は、そのときいちばん大切なことをいちばん大切にしているという意味です。永遠の命とか神の国とか言うと、とても大げさに聞こえますが、ある意味、それはたった一杯の水のことなのです。私たちの周りには、一杯の水を求めている人がたくさんいます。何も持っていなくても、一杯の水ならその人たちに差し出すことができるはずです。

 

 けれども私たちはそれすらできないことがあります。自分のことばかりを心配して、全然心に余裕がないのです。それは欠けたところがある自分に自信を持てず、恐れや不安から抜け出せずにいるからです。しかし私たちは、そのような欠けたとことがあるからこそ、それを埋めるのは神であることに気づかなければなりません。その神の働きの実を信じられた人は、恐れを超えて一杯の水を差し出すことができるようになっていくのです。

 

 それは神の働きを信じて、今のどうしょうもないように思える自分を、自分で引き受けることから始まります。もしも人間に「しなければならないという義務」があるならば、それは自分だけの人生を生きることです。自分を自分で引き受けて、神から与えられた人生に責任を持って生きるところに、神が責任を持ってその人の欠けたところを埋めてくださいます。その働きを信じて一歩踏み出した人は、やがて想像もしなかったような豊かな収穫を得るのです。

宮本幸男

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