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説教要約22/9/4「喜びと聖霊に満たされて」

イザヤ書49:1~6

使徒言行録13:44~52

「喜びと聖霊に満たされて」

 

 現代人は得体の知れない不安を抱えて生きています。その不安というものから、怒り、恐怖、猜疑心、攻撃、拒絶、逃避、妬みなどの様々な負の感情が起こります。戦争を始めたロシアのプーチン大統領にも、西側諸国に対しての不安があったことでしょう。また聖書に描かれている登場人物たちにも抱える不安があり、そこから特別な感情が起こっています。

 

 第1回目の伝道旅行で、ピシディアのアンティオキアのユダヤ人会堂に入ったパウロは、イエスこそ旧約聖書が約束しているメシア(救い主)であり、十字架刑で死んだイエスは今も生きていることを証しします。そして、あらゆる罪を赦すイエスをメシアと信じることを勧めたのでした。そのようなパウロの説教を喜んで受け入れた人がユダヤ人にもいましたし、ユダヤ人以外の異邦人と呼ばれる人たちにも大勢いました。

 

しかし、多くのユダヤ人はそのような異邦人たちを見て妬みに燃えました。それは、パウロの説教に反対したからだけではありません。「本家本元のイスラエルの神を信じていたのは自分たちのはずだ。このままだとユダヤ教の信仰も伝統もなくなってしまう。」という不安から妬みが起きたのでした。その感情に支配されたユダヤ人たちは、町の有力者たちを扇動し、パウロとバルバナを町から追い出してしまいます。

 

 イエスをメシアと信じた残された人々は、その状況の中で不安に思うどころか喜んでいました。それについて聖書は、「弟子たちは喜びと聖霊にみたされていた」と書いています。聖書はイエス・キリストを信じて従う者のことを弟子と呼びます。不安になって心配しているところには、決して喜びも、聖霊による素晴らしい実も実りません。どんな困難の中にあっても、神の働きを全面的に信じる平安のあるところに、考えられない不思議なことが起こっていくのです。

 

しかし、私たちはどうしても不安を抱えてしまう者です。そのような私たちに、今も生きておられるキリストは、「恐れるな、私だ。平和があるように」と語っていてくださっています。ここに私たちの思いを遥かに超えた神の思いあります。私たちを愛するがあまり、わが身を割いて、わが身を与えてくださる神は、2000年前にわが身を十字架の死に渡してでも、「あなたが喜びと聖霊に満たされている姿を見たい」と願われたのでした。

 宮本幸男

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