イザヤ書54 :1~8
エフェソ5:21~6:4
「キリストと知り合いになる」
私たちがキリストを信じ、上のものを求め続けていれば、生まれ変わったかのような新しい人になれることを聖書は約束しています。私たちの努力ではなく、キリストを信じることによって心の中に住むようになった聖霊が、私たちをキリストのような新しい人に変えてくださるのです。
新しい人になると、あまり物ごとにくよくよしなくなります。また、明日のことまで思い悩まないで、今日一日を一生懸命に生きるようになります。さらに、物事を前向きに考えることができるようになり、心に余裕もできて、隣人に暖かい言葉をかけられるようになれるのです。
しかし、私たちは自分が新しい人となったつもりでいても、依然として、「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしり」などの古い人の性質が、自分の中にあることに気づいてはがっかりすることがあります。けれどもあきらめてはいけません。もし私たちがそれに気づいたならば、その古い服を脱いで、イエス・キリストという新しい服を何度も何度も着ることが許されているからです。
そのようにしていれば、私たちはキリストと知り合いになっていくことができます。知り合いですから、お互いに良く知っているということです。もちろんキリストは、私たち一人ひとりのことを良く知ってくださっています。しかし、私たちがキリストを知らなければ知り合いにはなれません。
知り合いとなるためにはキリストを学ぶべきです。それは何かの勉強をして、キリスト教やイエスの生き方を学ぶということではありません。キリストという新しい服を何度も何度も着ることによって、段々とキリストが身についていき、自分自身がキリストのものとされていき、自然とキリストを知ることができるようになるということなのです。
宮本幸男