申命記10:12~11:1
へブライ12:3~13
「すべての苦難には意味がある」
神は愛する者に苦難を与え、訓練をおこないます。苦難が自分に起こったときには、神から選ばれていることに気づきましょう。その苦難に打ち勝つ力と脱出の道は、そのとき既に私たちに与えられています。つまり、父なる神が私たちを神の子として扱うために、懲らしめを与えているのです。
それはブドウを育てる農夫が、実を豊かに実らせるために、適切な方法とタイミングで剪定をするのに似ています。農夫は大事にしているブドウだからこそ、余分な枝や実に、はさみを入れて刈り込むのです。
私たちが経験する苦難は、後から振り返ってみると「あのことがあって良かったな」と思わせます。受験に失敗したり、病に苦しんだり、人から裏切られたりといった、全然思うようにいかなかった一つ一つの試練が宝となり、豊かな人生を作っていきます。
ですから、苦難は神が私たちを捨てた「しるし」ではありません。また、偶然に起こるものでもないし、わざわざ神が作り出したものでもありません。私たちの内に罪があり、この世界の造られているもの全てが呪われているところに起こってくるのが苦難です。そして、神は私たちが苦難に遭うのを許しておられます。なぜならば、神はその苦難をいくらでも豊かな祝福の為に用いることができるからです。
さらに、あなたがもし先頭となって苦難の道を通過しようとするならば、そんなあなたを他の誰かが見ています。私たちは自分自身の為だけに生きているのではありません。神によって何かの目的の為に生かされているのです。神を信じて忍耐をする人は、後に続く誰かの為のまっすぐな道を切り開くことになります。そのようにして他の誰かに勇気と希望を与えるよう、神はあなたを通して働くのです。
宮本幸男