「神の子としてくださる霊」
申命記6:4~9
ローマ8:12~17
聖書に書かれている「アッバ、父よ」の「アッバ」という言葉は、元々ユダヤ人の幼子が、まだ言葉を覚える前に、「アッバ、アッバ」と父親を呼んだところから来ているとも言われています。イエスも十字架につけられる前の夜、ゲッセマネの園という場所において「アッバ、父よ」と祈られました。それはまるで、一人では何もできない幼子が、まったく親に信頼し、甘えなければ生きていけないことを知っているかのような祈りでした。
この甘えとは、神が全部自分のことを知っているのだから、何が起ころうとも、全部を神に預けて安心しているという気持ちです。神は私たちにそのような幼子のような信仰を求めています。まさに「アッパ、父よ」と、父なる神の愛を信じて祈るイエスは究極の幼子でした。
けれども、生まれながらの私たちの内のある恐れが、私たちを迎え入れて安心させようとする神に近づくことを妨げています。神という主人を信用できなくて、奴隷のようにおびえる恐れが、私たちの内に存在するのです。また現実に、私たちは物心がついた時から自己責任を問われ続け、大人になっていくに従って、甘えることを忘れてしまいました。
しかし、私たちは神だけには甘えて良いのです。さらに言えば、私たちが神の愛を信じて甘えることこそが、神の喜びなのです。
だから辛い時こそ、「アッバ、父よ」と呼べるような甘えの関係を思い出してください。大きな問題を抱えている時にこそ、「アッバ」と信頼して甘えるべきです。そのような意味で、辛い時は恵の時です。神と私たちの間に、親と子どもの関係を取り戻すチャンスの時です。その時にこそ私たちは恐れを捨てて、「わが子よ」と呼んでいただく神によって、安心と信頼の世界へと迎え入れていただきましょう。聖霊という神の霊が、きっとあなたをそこに導いてくださることでしょう。
宮本幸男