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説教要約22/5/22「悲しみが喜びに変わる時」

創世記18:23~33

ヨハネ福音書16:12~24

「悲しみが喜びに変わる時」

 

 日本の文化の中では災いと幸福は表裏一体で、代わる代わるやってくるという見方をされることがあります。人生には良いことと悪いこととが、だいたい半分ずつあって、それが代わる代わる起こるという考え方です。その考えを無意識に持っている人の中には、たとえ良いことがあっても、「こんなことで運を使いたくない」など恐れている人さえいます。

 

 けれども、今日の聖書が私たちに教えようとしているのは、それとはまったく違う世界です。イエスはここで「悲しみが喜びに変わる」とはっきりと宣言されておられます。もっと言えば、今のその悲しみがなかったならば、もっと素晴らしい本物の喜びは将来生まれないということです。それは見事に変わります。イエスはそれを具体的に、女の人の出産の苦しみと、その直後の安らぎの様子に例えています。

 

 しかしそれだけではなく、イエスはその言葉によって、私たちを神の子の一人として生み出すためのご自分の苦しみと喜びを私たちに伝えようとしておられます。実にイエスは私たちを神の子として生み出すために十字架につき、その上で苦しみ抜かれました。けれどもイエスご自身は、その十字架のしばしの苦しみの中に神の愛を見たことによって、もっと大きな喜びを得たのでした。

 

 同じように、私たちは苦しみ悲しむときにこそ、イエスという愛の存在と出会うことができます。苦しみ、悲しみ、神の恵を一瞬見失ったとしても、恵の大元の存在であるイエスが見守ってくださっていることに、気づくことができれば幸いです。自分の悲しみの中にいて、共にその悲しみを味わってくださっているイエスを感じられた時に、その悲しみは一瞬のうちに喜びに変わります。

 

 なぜならば、その時あなたは、神から愛されていることを充分に知るからです。父なる神はそのような方法で、私たち一人ひとりを喜びで満たそうとされました。神は御子イエス・キリストを私たちに与え、十字架の血潮によって、この世に神の子として新しく生まれ変わらせてくださいました。神の子だけが知ることのできる特別な喜びが確かにあるのです。

宮本幸男

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