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説教要約22/5/8「それでも愛をあきらめない」

レビ記19:9~18

ヨハネ福音書13:31~35

「それでも愛をあきらめない」

 

 イエスが十字架につけられる前の夜の最後の晩餐の席において、弟子たちはイエスの語られる言葉の数々を理解することができませんでした。それは弟子たちが自分勝手に誤解して、イエスがユダヤ人の政治的な王になることしか考えてなかったからです。

 

 現代に生きる私たちも似たようなところがあります。例えば、「神が本当にいるのならば、なぜ真面目に生きる自分や、この世界の正しい人々に悲劇のようなことが起こるのか。」と思ったりもします。まさに私たちにとって、この世界は訳の分からないことばかりです。そしてそう思えるのは、私たちも神を正しく理解せずに、自分勝手に自分の都合の良いように考えているからです。

 

しかし私たちはすべて分からなくても、分かったところから始めれば良いのです。分からないことを心に納め、やがていつか分かる時が来ることを信じて歩めば良いのです。そしてこれが分かっているならば大丈夫だと言える大切なポイントがあります。それは「私は神に愛されている。」、「私はすべてのものから愛される為に生まれてきた。」ということです。

 

 新約聖書の中でイエスは新しい掟として、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。と教えています。この言葉を聞く私たちも幼いころから、人間は互いに愛し合うことが大切なことくらいはよく知っています。しかし私たちはそれをどこか夢物語と思い、愛することをあきらめてしまっているところはないでしょうか。私たちの見聞きする身近な現実は、愛とかけ離れたどろどろとした憎しみや怒りに満ちた現実ばかりです。私たちは実際に愛し合うことができない自分自身を見て、自分には愛がないと思って絶望しそうになります。

 

けれども私たちは相手の苦しみや悲しみを知り、まずその人に関心を持つことこそが大切なのです。その関心は祈りとなり、その人の為に心から祈る祈りは現実の愛となっていきます。そしてその祈りをお互いに積み重ねることによって、私たちは愛し合う世界を現実に作り出すことができるのです。

宮本幸男

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