· 

説教要約22/4/17「これからが楽しみなんです」

イザヤ書42:10~16

ヨハネ福音書20:1~18

 「これからが楽しみなんです」

 

 キリスト教では、イエス・キリストが一人ひとりの人間の罪の赦しのため、身代わりとなって十字架にかかって死んでくださったことを信じます。しかしそれだけではなく、死んだキリストが復活したという希望をセットで信じます。そして復活するのはキリストだけではありません。私たちもやがて死にますが、キリストを信じる者も同じように復活することを聖書は語っているのです。

 

 復活の日の朝、マグダラのマリアは他の女性たちと、死んだイエスのご遺体に香料を塗りに墓に行きました。そこでマリアはイエスのご遺体がないことを発見します。イエスが復活をされたことを知らないマリアは、自分からイエスが取り去られたことを悲しんで泣きました。さらにイエスが十字架で死ぬことや、墓荒しを止めることのできなかった自分の無力さを後悔しました。

しかし失くしたと思ったイエスは、実はマリアの後ろに立っていました。けれども彼女が後ろを振り向いて、イエスから「なぜ泣いているのか」と問われても、彼女はそれがイエスだとは気づきません。マリアは自分に起こった悲しいことしか考えていなかったので、見えるものも見えなくなっていたのです。

 

 この不思議な情景は、私たちの人生に起きる悲劇的に思えるような出来事にも重なります。私たちも思いがけず失ったものや、自分の無力さを思い、悲しんで泣くことがあります。そのときに「なぜ泣いているのか」と、あなたに問いかける大いなる存在がいます。私たちも悲しみのあまりその存在になかなか気づきません。

その神と呼ばれる存在は、あなたが悲しむ理由などないことに気づかせ、解決の方法を与えようとしておられます。なぜならば、神はあなたの失敗や後悔を用いてまでも、あなたに祝福を与えようとしておられるからです。だから失敗や後悔の後が大切なのです。

 

 この世界に永遠にあなたを悲しませるものなどないのです。あなたに素晴らしい将来を与えるために、イエス・キリストは十字架の上であなたの罪を背負って死んでくださり、復活をされ、素晴らしい永遠をつくってくださいました。たとえ最悪に思えるようなことが起こったとしても、決してそれで終わることはないのです。神はあなたのこれからを楽しみにしているのです。

宮本幸男

HOME