出エジプト 14:15~22
マルコ福音書 1:9~11
「わからないこともある」
公現日が過ぎてクリスマスの季節は終わったことになるが、今日のマルコ福音書を通して改めて御子の誕生物語を考えたい。信仰告白では聖書は「全き知識を与える」とあるが、わからないこともある。
マタイとルカの誕生物語に歴史的な必要性はあったのかというのが今日の疑問である。マルコとマタイ、ルカの間はわずかに10数年というところだろう。それにもかかわらず誕生物語を入れる必要があったとしたらどう考えるべきか。わずか10数年の間に、神が人となったという出来事が忘れられようとしていたとしたら、マタイとルカは誕生物語を書かずにはおれなかったことになる。それなら今日の洗礼から始まるマルコでは、その時代を乗りきれなかったのではないかと考える。
ユダヤ教キリスト派は、パウロ等の異邦人伝道活動により1世紀半ばには地中海世界に広がりを持ち始めていた。おそらく今の私たちが考える以上の速度で広がり、多くの人を取り込んでいったようだ。異邦人伝道により、ユダヤ教と関係のない人々も群れに加わった。その人たちの基礎はローマ・ヘレニズム文化であり、もとはギリシア文化となる。ギリシア哲学や弁論術などある種の知的な論客の興味も引いたことだろう。
彼らもイェスの“誕生”には興味を示さなかったと思う。しかし、イェスは救い主、神であるという十字架の死と復活の出来事を示す時に、『神は死ぬのか』という問いが出てきた。この問いは、その後数世紀に渡って議論されていく。その問いに対する答が、“イェスは人として生まれた!(だから死ぬこともできる。)”という証言だったと考える。そう考えると、80年代の教会は、ヨハネの洗礼から始まるマルコではなく、誕生物語のある新しいマタイ、ルカが必要だったと言えるだろう。
マルコの方が書かれた年代が旧いから事実に近いというのは、ある意味では正しい。しかし文化と時代が異なる事情ができてきた以上、神が人として生まれたという事実を誕生物語として書かなければ、イェスを人となった神と伝えられなかった。そういう状況では、多少の修飾を加えてでも“神が人間の女性から人として生まれた”と書く必要があったとしても不思議ではない。人の思いを越えた神からの恵みの知恵であったと考える。
神が人として生まれたことを語らずには、イェスの生き方や奇跡などのすべてが神話と思われてしまう文化や時代があったと知っておいてほしい。それは十字架の出来事のわずかに五十年のほど後のはなしである。今の私たちへの信仰を繋いだのは、神が人となったというクリスマス物語であったのである。
森 哲