· 

説教要旨21/5/23「聖霊って?」

ヨエル書 2:23~3:2

使徒言行録 2:1~11

「聖霊って?」

 

 今日は聖霊降臨日ということで、聖書では聖霊が弟子たちに降り、様々な国の言葉で語り出した。神の恵みの言葉が世界中に伝えられることになる記念日ということになる。いわば教会の誕生日である。

 

 教会暦の流れは、イェスの誕生、十字架、復活、昇天、そして今日の聖霊降臨となる。クリスマスやイースターは、日本の中にも受け入れられてきたが、聖霊降臨を受け入れるまでには至っていない。教会の祝い方も、クリスマスやイースターほどの熱心さがないからかもしれないし、またちょっととらえどころがないということもあるだろう。しかし、教会暦で言うと、今日から聖霊降臨節という期間となって、これが20週以上続く。1年の約半分の期間を「聖霊」という名のもとに生活するのである。

 

 神もイェスも言葉にすれば、なんとなくイメージが湧くけれども、聖霊といわれてもイメージできないように思う。

 私は「聖霊」を説明するとする時に、「神様が世界と歴史」「イェス様が私の隣人」「聖霊は私の内から働く力」という説明をしている。世界と歴史を作られる神というと大きすぎて「私」との関係がどうにも見えてこない。そんな私に神はイェスを私の隣人・友だちとして送られた。それでも、今現在、目に見えて触れるイェスがいるわけではない。いくら聖書が、教会が証言しても私の中にある弱さや不安が解消されるわけではない。

 弟子たちでも同じであったと考えている。イェスが十字架で死んだ時に彼らは絶望したことだろう。しかし復活したイェスに会って大きな喜びを得た。ところがイェスの昇天によって、再び彼らは自分たちが孤独であることを知る。どうしてよいのか、これからどう進むべきかを示すものがなくなった状態、今でいう喪失感の中に置かれていた。

 そこに神からの力としての聖霊が降ってきた。弟子たちの内側に入って力を与え、道を示すものとして現れたのである。それまで喪失感の中にあった弟子たちを、様々な国の言葉で語らせることによって、神は彼らにこれからの道を示し、前に押し出されたのである。

 

 こういう話をきくと、聖霊の力はちょっと私と関係ないのじゃないの、そんな大きな力を持ってないし… と一歩引く方もおられるかもしれない。しかしヨエル書は、神はすべての人にわが霊を注ぐと記しているのである。自分などはと考える必要はない。神がするといわれているのであるから、安心して受ければよいと考える。いつどこでどんな形で、聖霊が自分の内側に働きかけるかはわからない。それでも私個人の経験からしても確かにあると言っておく。その時が来たら、感謝と喜びをもって聖霊の力を受けよう。

森 哲

HOME