ネヘミヤ記 2:9~18
ヨハネ福音書11:17~27
「イェスは復活また命」
昨年4月10日の受難日礼拝から5月17日の無会衆礼拝から、2度目の緊急事態宣言による無会衆礼拝となった。時期的にもイェスの復活と重なるので、空の墓ではなく、復活して人と出会うイェスを思い起こしたい。
旧約はエルサレムの立て直しに取り掛かろうとするネヘミヤ、新約はイェスが死んだラザロを復活させる話の前半部分。旧約におけるネヘミヤの「さぁエルサレムの再建だ!」という言葉は、こんな時期だからこそ必要な神の言葉である。
世界も教会も新型コロナウィルスでは終わらない。各地の教会では緊急事態宣言を受けて様々な方法の試みが行われ、その中から新しい方法や形態が見出されていく。それは検証されながら新しい教会の姿を時間をかけながら作り出していくだろう。その姿はまだおぼろげであるが、LINE礼拝のような遠隔地における礼拝参加であり、リアルな体験としての礼拝参加の両方となるだろう。
言わば、音楽活動や演劇活動のライブ配信とリアルライブというようなエンターテイメントと変わらない形になっていくだろう。香櫨園教会はライブ配信を行うタイプを選んでいるが、いつでも見ることのできるYouTubeの配信(オンデマンド型)を選ぶ教会もある。ある教会では、数十年分の説教録音ライブラリーがあるそうだ。香櫨園教会も私が来てからの説教要旨は週報に書かれているので読み直すことはできる。記録はすでに変化が始まってきたといえる。これからは礼拝や聖餐式の参加形態の変化となっていくだろう。
昨日、昨年のクリスマス時期に天に召された方の納骨を行った。12歳のイェスの絵の話を覚えている方もおられると思う。セレモニーホールからの依頼で行った葬儀で出会った死者との交流。その方の人生を神が意味あるものとしてくださったことをお話しした。その後、あの絵は何人もの方に渡り、誰とも知られないままに神の慈しみを語っている。
この方との出会いの要点は、亡くなってからしか出会っていないこと。残された絵一枚から神様の慈しみが示されたこと。死後に神様の恵みが多くの人に証しされていること。の3点となる。これをもって今日のラザロの復活と結びつけることは無理だろうか。そこに神の働きを見出すときには、その方は死者でありながら新しい“いのち”を受けたと言っても良いと考える。
ラザロがそうであるように、この方も全く知られていなかったのに神が選び出されて、教会に伝えられるようになったのである。それこそ私の説教でもデータベース化されれば、この方の話しも残り続け神の慈しみを語り続けることになるかもしれない。イェスを復活させられる神の御業を思えば、この程度のことは不思議ではないかもしれないが、私には大きな喜びの物語となった。
森 哲