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説教要旨20/12/24イブ礼拝「天に栄光、地に平和」

ルカ福音書 2:1~7

「天に栄光、地に平和」

 

 今年は1年が新型コロナウィルス禍によって過ぎようとしている。今も世界中が被害の中にある。この教会も4月7日から緊急事態宣言により礼拝を閉じて、LINE礼拝に切り替えた。幸いなことに5月24日から再開したが、冬になり感染が拡大し、西宮市でも感染者が増えてきている状況だ。

直接、新型コロナウィルスがどうこうと言いたいわけではない。ただ世界的な危機において、なお人と人が、国と国が一致して対応策を持てないことについてとても残念に思っている。

 

 私は、小さい頃からSF小説が好きで外国の作品や小松左京などの国産SFをたくさん読んできた。SFのテーマの一つに、「人類滅亡の危機」というジャンルがある。宇宙人であったり、自然災害であったり、細菌による感染であったり、科学の発達であったりと様々な危機が描かれてきた。そんな中で、希望的に描かれてきたのは、人と人とが一致して危機に立ち向かうという設定であった。もちろん最初から一致できるのではないが、紆余曲折のなかで人々が一致し危機に立ち向かっていくというのが物語のメインテーマだったと思う。

ところが現実には、世界的な危機であるにも関わらず、人類の一致というような小説のようなドラマティックな動きは見られない。これから先にそういう希望が見えそうとも思えないのだ。つまり、現実の方が小説よりも愚かであり小説を越えてしまっているということなのだろう。

 

こんな夜に御子の誕生について、喜ぶというより考えてみるのも世界に与えられる大きな恵みを受け止めるのに必要なのかもしれない。残念ながら世界は、神の恵みを受け入れるだけの器がないと考える。宿には彼らの泊まる余地がなかったからであると、聖書は記す。ヨセフとマリアが馬小屋を選んだのではなく馬小屋に追いやられ、そこでイエスは生まれたというのが、正確な物語の理解であろう。この2行ほどが、一致できない世界、疎外される神の子を示し、世界的な危機を迎えても自分のこと、利害関係に縛られて他に目を向けることができない人の罪の姿を明らかにするのである。

 

そんな中でもイェスの誕生はわたしたちの希望であり続ける。どうにかなる世界ではないかもしれないが、そんな中に御子が来てくださるということが、その世界に生きる人たちの希望の光となってほしいと願う。

 

世界史にも残るこの災厄の中、人と人とが繋がれない中にも、イェス様来てください。イェス様、世界中の人と共にいてくださいと切に祈りたい。

森 哲

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