ミカ書 7:14~20
使徒言行録 24:10~21
「時の流れの中に」
週報を読んで驚いた方もあると思うが、昨年末に「もう十分ここで働いた。」という声が聞こえた。還暦頃からいつ退くかを迷っていた私には決断を促す声であり、それを受け入れた。中継ぎ投手の役割は終わった。次の投手に引き渡すことで、私は役割を果たせるという思いになった。以上が簡単なまとめ。
聖書ではパウロはイェスを信じる人々を迫害する側から信じる者へを変えられ、御言葉を取り次ぐ務めに任じられた。なぜこんなことを神は計画されたのか、これは不思議なことでパウロ自身も本当のところは判らなかったのではと思う。パウロの性格からすれば、イェスが用いてくださっている、これこそが神からの救いと赦しのメッセージだ!くらいに信じてその生涯を走りぬいたのだろう。
話は変わるようだが、70年代を教会で過ごした者には、パウロに対するよろしくないイメージが付いている。その中にはローマの市民権を主張するパウロに対しての反感もあったことだと思う。しかし考えてみると、今日の場面はパウロがローマ市民でなければ、総督の前に出ることはなかった。ただのユダヤ人に対して、ローマ総督が関心を示す理由などないからである。したがってパウロを考える場合には、ローマ市民という属性までもが彼の伝道活動にあっては欠かせないものであった言える。
先週はペトロについて話したが、イェスの直弟子ではないパウロが大きな働きをしていくことは、キリスト教の歴史を考える場合には非常に大きなことだと考える。イェスの直弟子より働く元迫害者という設定は、神の救いがユダヤ人から異邦人にも向かっていくのと同様に、もはやイェスと生活を共にしたこと以上の意味がパウロにあることを示している。神の歴史がユダヤ人を越えて異邦人に向かう時に、イェスの直弟子を越えた元迫害者という小さな歴史の変化が見られるように思う。
歴史について語ることや評価することは、その時点では難しいことである。パウロが異邦人伝道に向かったのも、ユダヤ人から裏切り者と言われていたからだろう。それが2000年たてば、キリスト教の根幹を作った人と評価される。時間の流れの中で、評価も変われば、その価値も変わっていくのであろう。それは人の知恵によるのでなく、神の知恵によるからだと考える。
森 哲