スティホームの時間に自宅で映画(DVD)を楽しまれた人もおられると思います。
私には何回観ても新たな感動を覚える映画があります。
それは、「俺たちは天使じゃない」というコメディ映画です。
1989年制作アメリカ映画
主演 ロバート デニーロ、ショーン ペン
今日は少しだけ、この映画の中の感動的なシーンを紹介させてください。
それは「ショーン ペンが演じるジムの説教シーン」です。
自らが映画の中の聴衆の一人になった気持ちになって見てしまいます。
映画の主人公は脱獄囚のジムとネッドです。自らの意志ではありませんでしたが、極悪な殺人死刑囚の死刑執行時に脱獄の巻き添えとなってしまいます。二人はカナダとの国境にあるニューイングランドの田舎町に逃亡しました。
指名手配中の二人ですが、偶然にも修道院に派遣される予定だった2人組の神父だと村人に勘違いされてしまいます。それを幸に、神父になりすまして修道院に身を寄せながら、国境を越える時を計っていました。
そして国境を越え、カナダの教会にマリア像を運ぶという巡礼行事のシーンに移ります。
ジムは、巡礼前の恒例の説教のクジにあたります。祭壇に上がることになったジムはニセの神父ですので説教なんてとんでもありません。
大勢の聴衆を前にして、ジムはまさに「神様助けて!」の心境でした。手に持った祈祷書をあけ、そこに書かれた言葉を読むジム。人生最大のピンチです。
脱獄囚とバレたら捕まえられ殺されるでしょう。追っ手は目前に迫り、聴衆の中にいます。
囚人だから罪は犯してはいましたが、ジムもネッドも根っからの悪人ではないように感じられるシーンがいくつもあります。権力を振りかざす刑事たちの方が、私にはむしろ悪に感じられてしまいます。
話は偽ブラウン神父、ジムの説教のシーンへ戻ります。
説教台に立ったジムは手にしていた祈祷書を開きました。
見開いた祈祷書のぺージに挟まれていた紙は、なんと!猟銃のパンフレット。
「みなさんは1人きりで、危険の中に立たされたことがありますか?」
「命が危なかった時、私はポケットの中に何かないか探しました。」
「そこで私が見つけたものはなんだったでしょうか?」
ここまでは(※広告の切り抜き記事を読んでいたのです)
パンフレットに書かれていた次の言葉は、❨32口径ポケット型拳銃❩
さすがに、読むわけにはいきません。
しかし、しばらくの沈黙の後ジムの口からはまるで神様が降りてきたかのような言葉が力強くほとばしり出てきたのです。
「ポケットを探ってみても何も・・・なにもありません。あるのは、希望だけです。」
「地位や仕事を奪われ、この世の中で自らが安心していることができる場所さえないとしたら、どんなに財産があっても、富は何の力にもならない・・・」
「そんなとき、もし一心に祈ることで心の救いが得られるのなら、祈るがいいでしょう。 あなたがたが自分の救済のために祈るのです。」
そして、「もし信仰が慰めになるなら神を信じなさい。」
祈祷書を高く揚げ、ジムは熱く語りました。
説教は聴衆の心を捉え、拍手喝采が鳴りやみません。
(ここに紹介したのは長い演説の一部です)
人生の道程においてピンチに立たされる経験は誰にもあるのではないでしょうか。
そんな時、神様助けてください! と念ずることからの救い。
そんな場面がこの映画のなかにはたくさんあるのです。
キリスト教を知っている人と知らない人が見た場合、この映画への見方は異なるかもしれません。しかし、私にはコメディの中にも救いのテーマが透けて見えて興味深いのです。
さて、ジムとネッドは国境を越えて逃亡できるのか?
そして感動的なラストが待っています。
続きは是非、観ていただきたいのです。
感動を共にできれば嬉しいです。
K.I